2021-04-06

自由より安全を求める人たち


政府のコロナ対策で自由が縛られたって、仕方ない。なんだかんだ言って、命が一番大事だから——。こんな風に思っている人は少なくないだろう。けれども、その考えは正しくない。

今、私たちが自分の健康や命を守るうえで頼りにしている科学や技術は、自由なしには成り立たない。研究の自由がなければ、感染症の原因や対策を知ることはできない。営業の自由がなければ、実用的な防止手段や治療方法を製品化し、人々に届けることはできない。

科学や技術の進歩は、つねに少数の意見や行動から始まる。それが多数派の考えに反するからといって禁止すれば、進歩の可能性はなくなる。

たとえば、海外でロックダウン(都市封鎖)の効果が疑問視されているにもかかわらず、日本は自粛要請をやめようとしない。自由に行動して集団免疫を獲得する方法は、もし有効なら経済や人の心への打撃が和らぐにもかかわらず、試すことさえ認められない。

一年以上にわたり自由が制限されているにもかかわらず、日本社会がなんとか持ちこたえているのは、過去に築いた有形無形の蓄えがあるからだ。しかしこのままだと、それもいつか底をつく。

「安全を得るために自由を放棄する者は、そのどちらも得られないし、得るに値しない」。このベンジャミン・フランクリンの言葉が、今ほど切実に感じられるときはない。

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