机上のリアリズム
著者は本書の冒頭で問いかける。「生存は保証されていないが、自由」と「自由ではないが、生存は保証されている」のどちらを選択するか、と。そしてその問いに対し、後者を選ぶ。しかしその考えは誤っている。なぜなら自由ではない社会で、生存を保証するための富を生み出すことはできないからである。
流動化する現代の社会では、あらかじめ目的地を定めることはできず、「自動車のように機動力を生かし、迅速に状況を判断しながら、自分の生存をかけてリアルタイムの戦略を立てていく」ことが求められると著者は言う。
しかし、状況を判断するには適切な情報が要る。富を作り出す経済活動にとって、最も重要な情報は価格である。だが財やサービスの売買が自由でなければ、取引は成立せず、したがって価格を知ることはできない。
ソ連に代表される旧社会主義国では、工場や機械といった生産手段の私有が禁じられ、市場で売買もできなかった。だからそれらの価格を誰も知ることができなかった。価格がわからなければ、効率よい配置も生産もできない。その結果、社会主義経済は破綻した。
著者は、情報通信テクノロジーによって支えられる、新しい共同体のあり方を提言する。だがテクノロジーの発展には、経済活動の自由が欠かせない。著者も指摘するように、かつて蒸気機関やガソリンエンジンといった新たなテクノロジーの登場は、社会のあり方を大きく変えた。しかし、これらの技術が産業に結実して大きく発展できたのは、政府による規制が当然になった現代とは異なり、企業活動にはるかに大きな自由が認められていたからである。
「自由を求める人もこの社会にはいるだろう。しかしそれは少数派だ」「大多数は、自由よりも安逸な隷従を求めるのではないだろうか」と著者は言う。そうかもしれない。しかしもしそうだとしても、学問の進歩を切り拓く優れた研究者や、産業の発展を促す天才的な企業家といった少数の人々の自由を禁じれば、テクノロジーは発展しないし、多数の人々に分け与える富も生み出せない。そして誰が優れた研究者や企業家であるか事前にわからない以上、すべての研究者や企業家に自由を認めるしかない。
経済の自由がなければ、持続的に富を生み出すことはできず、大多数の人々の生存を支えることはできない。著者はしきりに「リアリズム」の重要性を強調するが、それは経済の現実に対する理解を欠いた、机上のリアリズムでしかない。
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