なぜ「不健全」なメディアを規制してはならないか
三十年来愛読しているマンガ家、近藤ようこの初期作品集。まだ作者を知る以前に発表された、今回初めて読む作品ばかりが収められている。出版されたことに感謝したい。
収録された作品はいずれも、当時二十四歳の若者らしく、娯楽性よりも文学性が前面に出た、やや観念的なものである。それでもわかりにくい話は少なく、作者の特徴である涼やかで美しい描線を早くも楽しむことができる。女性教師が主人公の「籠りの冬」は、のちの「遠くにありて」を連想させる。
意外なことに、1980年代前半にこれらの作品が掲載されたのは、実験的なマンガを載せることで知られた雑誌「ガロ」などではなく、「漫画エロス」「マンガ奇想天外」といったエロ劇画誌だった。
作者はあとがきで、「原稿料の出ない雑誌に描く余裕は私にはなかったのです」と当時を振り返っている。「少ないページ数、安い原稿料の仕事が月に一、二本しかなかったのに、よく生活できていたものです」
エロ劇画誌などの「不健全」なメディアは、青少年に悪影響を及ぼすとして条例などでしばしば規制される。しかし「不健全」なメディアは、駆け出しの若い作家がたとえわずかでも生活の糧を得る貴重な場でもある。
作者が昨年出版した『五色の舟』(津原泰水原作)は、第18回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞を受賞した。もし「不健全」なエロ劇画誌がなかったら、作者はもしかするとマンガ家になることすらできず、政府から栄えある賞を受けることもなかっただろう。「不健全」なメディアを規制すれば、「健全」な文化も育つことはできないのである。
※発売記念サイン会(8月16日)
【アマゾンレビューに転載】
0 件のコメント:
コメントを投稿