When the US Supported a Brutal Chinese Conquest of Taiwan - Antiwar.com [LINK]
【海外記事より】今日、台湾は独裁的な隣国に包囲された輝かしい民主主義の象徴として語られますが、歴史学者スルマーン・ワシフ・ハーン教授の新著は、その背後にある暗く複雑な真実を浮き彫りにしています。著者は、アメリカがかつて台湾の自己決定を支える守護者ではなく、むしろ過酷な独裁体制による台湾制圧の主要なスポンサーであったという衝撃的な歴史を掘り起こしています。
歴史を遡れば、台湾が古来から中国の一部であったという主張は単純化されすぎています。清朝が1683年に台湾を併合したのは、神聖な領土保全のためではなく、外国勢力の拠点になることを恐れた安全保障上の理由からでした。その後、19世紀の中国が列強に蹂躙された「屈辱の世紀」において、アメリカもまた英国の帝国主義に便乗して不平等条約を強い、中国の民衆蜂起を武力で鎮圧する側に回りました。1895年に日本が台湾を割譲させた後、台湾は「模範植民地」として近代化を経験しましたが、それは台湾人が二級市民として扱われる過酷な統治でもありました。
第二次世界大戦後、アメリカは最大の過ちを犯します。台湾の人々の意志を無視し、カイロ会談での約束通り、台湾を蒋介石率いる国民党政権に引き渡したのです。1945年に米軍の船で上陸した国民党軍は、解放軍ではなく征服軍として振る舞い、1947年の「228事件」では数千人のエリートや市民を虐殺しました。その後の「白色テロ」により、台湾は数十年に及ぶ戒厳令下の監視国家となりました。皮肉なことに、現代の台湾独立運動の源流は、北京の共産党に対してではなく、アメリカが支えた蒋介石の独裁統治に対する抵抗から生まれたものでした。
1950年代、アメリカは台湾を「不沈空母」と見なし、核兵器の使用を辞さない強硬姿勢で共産党に対抗しました。この時期、アメリカは台湾を拠点に大陸を攻撃しようとする蒋介石を保護し、地域を核戦争の淵に何度も立たせました。しかし1970年代に入ると、ニクソンやキッシンジャーは現実的な外交判断から、台湾が中国の一部であるという北京の主張を認める「一つの中国」政策を構築し、ようやく核戦争の脅威から遠ざかることができたのです。
その後、台湾の人々は自らの力で民主化を勝ち取りましたが、21世紀に入り、再び平和が崩れ始めています。ハーン教授は、トランプ前政権からバイデン政権に至るまで、アメリカが「一つの中国」政策を交渉の道具として扱い、台湾を中国封じ込めの武器として利用している現状を厳しく批判しています。ペロシ氏の訪台のようなパフォーマンスは、台湾の安全を高めるどころか、中国の軍事的エスカレーションを招いただけでした。著者は、かつて外交的な曖昧さと妥協が40年間の平和を守ってきたことを指摘し、現在の「抑止」一辺倒の政策が、台湾を解放するのではなく灰の山に変えてしまう危険性を警告しています。歴史に学ぶべき真の責任とは、次の戦争に備えることではなく、それを防ぐための地道な外交努力に立ち返ることなのです。
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