【グローバルヒストリーを読む】ユーラシア大陸南方の海上を船で往来する「海の道」は、草原の道、オアシスの道(シルクロード)と並び、東西交流の3つの道の1つだった。今回はこのルートにスポットを当ててみよう。

紀元後1世紀中頃にギリシア系商人によって書かれた『エリュトゥラー海案内記』は、当時の紅海・インド洋方面の海上交易の様子を記している。その中で、「ティーナイと呼ばれる内陸の大きな都」から生糸や織物がインドに運ばれてくることを述べている。この「ティーナイ」とは中国の王朝名の「秦」の音訳だ。
なお現在の英語の「チャイナ」(China)も、語源は「秦」(中国語でチン)である。また、ロシア語で中国は「キタイ」というが、これは契丹からきている。
インド洋沿岸ではローマ帝国の貨幣が多く出土しており、ローマ帝国時代にインド洋海上交易が盛んだったことがわかる。2世紀の中頃には、ローマ帝国「大秦王安敦(あんとん)」の使者を名乗る西洋人の一団が、後漢最南端の日南郡(現ベトナム中部)に到達した。
大秦王安敦とは、五賢帝最後のマルクス・アウレリウス・アントニヌス帝のことだと考えられている。本当にローマ皇帝の使者だったかどうかはわからないが、彼らは断片的に成立していた海洋ネットワークをたどり、紅海を進みアラビア海を季節風に乗って渡り、ベンガル湾岸からインド人の船で進み、南シナ海に出て、後述する扶南、チャンパーを経て日南に到達したと思われる。
東アジアの海域では、8世紀以降、アラブやイランのムスリム(イスラム教徒)商人が海上に進出し、広州や泉州、揚州など中国沿岸の海港に出入りし、居留地をつくるようになった。10世紀からは、中国人の海上進出も活発になった。その交易の範囲は東シナ海から南シナ海、インド洋にまで及び、陶磁器、絹、銅銭などがジャンク船(中国式帆船)によって各地に輸出された。船で運ばれた中国の陶磁器は各地で珍重されたため、中国からインド洋に至る海上交易路は「陶磁の道」とも言われる。
インド洋から地中海に至る海域では、ムスリム商人、インド商人、イタリア商人などが交易活動の中心になった。ムスリム商人はインド商人と提携してインド、東南アジア産の香辛料、香料、木材、中国産の絹織物、陶磁器などを買い入れ、これらの商品を三角の帆を持つ木造船(ダウ船)に積んでインド洋から紅海沿岸に運び、さらにナイル川を利用してカイロやアレクサンドリアにもたらした。エジプト、シリアを支配したアイユーブ朝、マムルーク朝の首都カイロは、海上東西交易の中心として栄えた。
ヴェネツィア、ジェノヴァ、ピサなどのイタリア商人は、十字軍の物資輸送を担当したことをきっかけに、地中海交易の主要勢力として成長した。彼らはムスリム商人と連携してアジアの物産をヨーロッパに売りさばき、またアイユーブ朝やマムルーク朝の君主にも、戦争に必要な鉄や木材を供給した。地中海の活発な交易に伴い、イスラム地域の医学、哲学、数学、化学などの知識がヨーロッパに伝えられ、アラビア語からラテン語に翻訳された。さらにムスリムが中国から学んだ製紙法、羅針盤、火薬なども、シチリア島やイベリア半島を経由してヨーロッパに伝えられた。11〜13世紀は、十字軍とムスリム軍との戦争にもかかわらず、地中海での交流・交易が活発になった時期だった。
沿岸航路による海上交易が発展すると、インド洋と南シナ海を中継する港市国家が生まれた。2世紀末までには、ベトナム中部沿岸にチャム人のチャンパー(林邑)が、メコン川下流域には扶南が建国された。5世紀に入り、中国の南朝が繁栄すると、華中の都市で香辛料など南海の物産の需要が増大した。扶南は海や河川を利用して、東はモルッカ諸島(マルク諸島)、西はスマトラ島の港市国家群から、また林邑は背後の山地や平原から熱帯物産を集めて中国に輸出した。こうして東南アジアには、東西の国際市場と連動した港市国家の交易網が形成された。
東西の国際市場とのかかわりが強まるとともに、漢字や儒教などの中華文明がベトナム北部に伝わった。また、サンスクリット語や文学作品、ヒンズー教、仏教などのインドの文明が、その他の諸地域の港市国家に伝わった。それらは、やがて基層の文化と融合して、独自な東南アジアの文明が形成された。
様々な人々が行き交い、古くから多文化共存が当たり前だった港市国家は、グローバル・ヒストリーの最も重要な主役といえる。歴史学者の北村厚氏は「東アジアや南アジアからみれば東南アジアは辺境だが、東西交易の観点からみるとその辺境が世界を結ぶ中心になる」(『教養のグローバル・ヒストリー』)と述べている。
こうしてユーラシアの東西を結ぶ交易の主役は、大量の商品を効率よく運べる海上ルートへと次第に移行していった。
15世紀末から始まる「大航海時代」は、しばしばヨーロッパ人の先駆的な偉業として語られる。しかし、その背景には、アジアの商人たちが長年かけて築き上げた高度な海洋ネットワークが存在していた。ヨーロッパ人を海へと駆り立てたのは、まさにアジアの海域に溢れていた香辛料や陶磁器などの特産品と、それがもたらす莫大な富だったのだ。
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