作家、リチャード・メイベリー
(2014年11月27日)
毎年この時期になると、全米の子供たちは感謝祭について公式の物語を教わる。新聞、ラジオ、テレビ、雑誌は膨大な時間とスペースを割いて、この話を取り上げる。それはとても華やかで魅力的だ。
Friendly reminder that the First Thanksgiving Feast was meager thanks to imposed socialism.
— Libertarian Party of Connecticut (@LPofCT) November 24, 2022
It wasn't until the Harvest Feast of 1623 after they adopted private property and proto-capitalism that the colonists really had abundance.
Happy Thanksgiving!https://t.co/TRjrP1xOTH
しかしそれは欺瞞に満ちている。この公式の物語は、実際に起こったこととは似ても似つかない。それはおとぎ話であり、感謝祭の本当の意味から注意をそらす、半分だけの真実をとりつくろった、無味乾燥な作り話の寄せ集めである。
公式の物語では、ピルグリム・ファーザーズ(信仰の自由を求めて現米国のマサチューセッツ州プリマスに入植した人々)はメイフラワー号に乗り込み、アメリカにやってきて、1620年から21年の冬にプリマス植民地を築くということになっている。この最初の冬は厳しく、入植者の半数が死んでしまう。しかし生き残った人々は勤勉で粘り強く、先住民から新しい農法を学ぶ。1621年の収穫は豊かなものだった。ピルグリム・ファーザーズは祝宴を開き、神に感謝する。神が新たに与えてくれたすばらしい豊かな土地に感謝を捧げる。
その後、ピルグリム・ファーザーズは多かれ少なかれ幸せに暮らし、毎年、最初の感謝祭を繰り返すというのが公式の物語である。他の植民地でも最初は苦労したが、やがて繁栄し、アメリカというこの豊かな新天地に感謝する習慣を毎年取り入れるようになった。
しかしこの公式の物語の問題点は、1621年の収穫が豊かでなく、植民地の人々が勤勉で粘り強かったわけでもなかったことである。1621年は飢饉の年で、植民者の多くは怠惰な盗人だった。
植民地の総督であったウィリアム・ブラッドフォードは『プリマス農園の歴史』の中で、植民地の人々が畑仕事をしないために何年も空腹を我慢していたと報告している。人々は食べ物を盗むことを好んだ。ブラッドフォードによれば、植民地は「腐敗」と「混乱と不満」に満ちていた。収穫が少なかったのは、「夜も昼も多くのものが盗まれ、食べられるものが少なくなったから」である。
1621年と1622年の収穫祭では、「皆、空腹を満たした」が、ほんの短い間だけであった。この時期の状況はたいてい、公式発表でいわれているような豊かなものではなく、飢饉と死であった。最初の「感謝祭」は、祝宴というより、死刑囚の最後の食事だったのである。
しかしその後の年、何かが変わる。1623年の収穫は違っていた。突然、「飢饉の代わりに、神は彼らに多くのものを与えた」とブラッドフォードは書き、「物事の様相は変わり、多くの人々の心は喜び、神を祝福した」と述べた。その後、「今日に至るまで、一般的な欠乏や飢饉は起こっていない」と書いている。実際、1624年には多くの食糧が生産され、植民地の人々はトウモロコシの輸出を開始することができた。
何が起こったのか。1622年の不作を受け、ブラッドフォードは「どうすればできるだけ多くのトウモロコシを育て、より良い収穫を得ることができるかを考え始めた」と書いている。人々は、自分たちの経済組織のあり方に疑問を持ち始めた。
植民地の経済組織は、「貿易、交通、運搬、労働、漁業、その他の手段によって得たすべての利益と恩恵」を植民地の共有財産とし、「この植民地のすべての人々は、肉、飲み物、衣服、すべての食料を共有財産から得る」ことを義務づけていたのである。人はできるだけのものを共通在庫に納め、必要なものだけを手にすることになっていた。
この「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」は、社会主義の初期の形態であり、ピルグリム・ファーザーズが飢餓に苦しむ理由でもあった。ブラッドフォードによると、「最も有能で労働と奉仕に適した若者たち」は、「他人の妻や子供のために時間と体力を使って働く」ことを強いられることに不満を抱いていた。また、「強い者、つまり体の大きな者は、弱い者よりも食料と衣服の分け前が少なかった」とも書いている。そのため若い人や強い人は働くことを拒否し、生産される食料の総量は決して十分ではなかった。
この状況を改善するために、1623年、ブラッドフォードは社会主義を廃止した。各家庭に一区画の土地を与え、生産したものはそのまま持っていてもいいし、適当に売買してもいいと言った。つまり、社会主義から自由市場へと転換し、飢饉をなくしたのである。
初期の植民地主義者たちは、社会主義政府を設立したが、どれも同じようなひどい結果を招いた。1607年に設立されたジェームズタウンでは、毎回の航海で到着した入植者のうち、アメリカで最初の12カ月を生き延びることができたのは半数以下であった。 ほとんどの仕事は5分の1の人たちによって行われ、残りの5分の4は寄生することを選んだ。1609年から10年にかけての冬は「飢餓の時代」と呼ばれ、人口は500人から60人に減少した。その後ジェームズタウンの植民地は自由市場に移行し、プリマスと同じように劇的な変化を遂げた。
(次を全訳)
The Great Thanksgiving Hoax | Mises Institute [LINK]
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