2022-11-27

米政府、闇の同盟の系譜

ウクライナにおける米国のネオナチの盟友は、米政府がロシアに対し利用してきた忌まわしい協力者の最新版


ユダヤ人襲撃犯からヒトラー崇拝者、イスラム過激派まで、米国は一世紀以上にわたって憎むべき相手と協力してきた


ジャーナリスト、トニー・コックス
(2022年11月13日)

ソ連の指導者ヨシフ・スターリンは、第二次世界大戦の同盟国であるはずの米国が、自分に隠れてドイツのナチスと交渉していたことを1945年3月に知り、激怒した。実際、米国のスパイで後に中央情報局(CIA)の長官となるアレン・ダレスが、ヒトラー政権の崩壊が迫るなか、親衛隊のカール・ウォルフ将軍と秘密会談を行い、冷戦を事実上開始したとする歴史家もいるほどである。

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スターリン、米大統領フランクリン・ルーズベルト、英首相ウィンストン・チャーチルは、ヒトラー政権の異常な犯罪を理由に、ナチスの無条件降伏しか認めないことで合意していた。ダレスとウォルフの会談が明るみに出た際、ルーズベルトはスターリンに「誰もドイツと交渉していない」と繰り返し、虚偽の報告をした。スターリンは納得せず、西側の同盟国である米国がソ連を封じ込め、ソ連軍が手に入れるかもしれない領土を占領するために策略を巡らせていると疑った。

ソ連が疑念を抱くのは当然である。ダレスを含む米政府は、ソ連を米国の長期的な最大の脅威とみなしていたのである。

ナチスを救う


半世紀以上経ってようやく機密解除された文書で確認されたように、米国の情報機関はまもなく1000人以上のナチスを冷戦時代のスパイとして雇うことになった。

その頃すでに米国は、ソ連に対抗するために、いかがわしい同盟国と共通の大義名分を見出した歴史があった。ソ連がよく覚えているように、米国は1918年にロシアに侵攻し、〔社会主義革命を起こした〕ボルシェビキ政権の打倒に失敗したのである。当時、米国は反革命派の白軍と同盟を結んでおり、その中にはポグロム(ユダヤ人襲撃)などの残虐な殺戮を好んでいた者もいた。

当時のウッドロウ・ウィルソン米大統領は、世界の指導者たちに民族自決と対外侵略の禁止について道徳を説いていたが、この原則は何世代も先の米国の自己利益に従ってのみ適用されるものであった。ウィルソンは、ドイツから中央アジア、現在のウクライナ危機と、今日まで続く前例を作ることになったのだ。それは米国を自由の擁護者として崇高に描く一方で、ロシアを傷つけたいという米政府の熱い思いを共有できる相手であれば、その行為や見解がいかに忌まわしいものであっても、誰とでも協力するというものであった。

1945年、ダレスはハインリヒ・ヒムラー〔ナチス親衛隊(SS)隊長〕の右腕だったウォルフと手を組んだ。ウォルフとSS将校のグループは「黒の騎士団」と呼ばれ、北イタリアを連合軍に降伏させることに同意した。この取引はドイツの全面降伏のわずか6日前に行われたため、米国にとってはあまり効果がなく、ソビエトや他の同盟国に不信の種をまいてしまった。

歴史家によれば、ウォルフはニュルンベルク検事団から不思議なことに主要戦犯リストから外され、加害者ではなくナチスの残虐行為の「目撃者」として扱われたので、絞首台は免れた。ダレスは、ウォルフの別荘がイタリアのパルチザンに包囲された際、救助隊を派遣してウォルフを救出したほどである。

米国の情報機関、国防総省、連邦捜査局(FBI)は、戦後採用したいナチスの記録を隠蔽することに手を貸した。悪名高い戦争犯罪者が米国の同盟国から隠されていたケースもある。そのような有用な悪党の一人がクラウス・バービーで、〔ナチスドイツに協力した〕ビシー政権下のフランスでゲシュタポ(秘密警察)の将校としてユダヤ人とレジスタンス戦士を拷問し、「リヨンの虐殺者」として知られた。バービーは占領下のドイツで米国のスパイとして働き、フランスが戦犯として引き渡しを要求した後、1951年に米国はバービーをボリビアに逃がした。

1983年に米国の調査によってようやく明らかになったように、米国はバービーの居場所について同盟国のフランスに嘘をついていた。米軍はバービーと他の反共産主義工作員を、ファシストのクロアチア人司祭クルノスラフ・ドラガノビッチが運営する「ネズミの回線」を通して欧州から避難させるために金を払っていた。米国調査官アラン・ライアンによれば、「米政府の役人は、フランス政府から犯罪容疑で指名手配されている人物を保護し、法から逃れるよう手配する直接の責任を負っていた」。

CIAは多くのナチスを直接雇用することに加え、かつてヒトラーの東部戦線情報主任であったラインハルト・ゲーレンが運営する大規模なスパイ網を利用するために数百万ドルを支払ったと伝えられる。このドイツ人将軍は、戦争犯罪容疑での訴追を免除され、逮捕を避けるためにナチスの仲間の何人かを欧州から逃亡させる手助けをした。

米政府がナチスを雇ったのは、単なるスパイ行為だけではなかった。科学者やエンジニアを含む1600人以上が、「ペーパークリップ作戦」の下、冷戦に勝つためにその技術力を買われ、米国に連れて来られたのである。例えば、国防総省はロケット科学者のウェルナー・フォン・ブラウンを新妻、両親、弟とともに米国に呼び寄せた。フォン・ブラウンは、ドイツでヒトラーのために奴隷労働を使ってV-2ロケットを作ったチームを率いた人物で、米国では宇宙開発計画の英雄となり、ディズニー映画やタイム誌のカバーストーリーの題材となった。

しかし、ナチスからの移植者のすべてが順調であったわけではない。航空医学の経験を買われてテキサス州の軍事基地に連れて来られたコンラッド・シェーファー博士は、米軍当局の印象が悪く、ドイツに送り返された。作家のエリック・リヒトブラウが2014年の著書『隣のナチス』(邦題『ナチスの楽園』)で書いているように、米国側はシェーファーが医療残虐行為に関係があるというニュルンベルク検察の主張を見逃したが、「科学的才覚」が欠けていることには我慢できなかったのだ。

米国対ユダヤ人


ナチスは戦後、第三帝国下でユダヤ人が虐殺されたのとまったく同じ収容所を運営する仕事にもありついた。米陸軍大将ジョージ・パットンは、ダッハウやベルゲン・ベルゼンなどの米占領地にあった避難民(DP)収容所の責任者となり、ユダヤ人生存者を「解放」後数週間から数カ月、強制収容していたのである。

ヒトラーの死の収容所を監督した看守や、残虐な医療行為を行ったナチスの医師が、DP施設のスタッフとして働いていたのである。収容所では、ユダヤ人は相変わらず縞模様の制服を着て、わずかな食料を与えられていた。より多くの食料を手に入れるため闇取引に走ると、シュトゥットガルトやランズベルグのDP施設にドイツ警察が派遣され、取り締まりを行うようになった。当時のトルーマン米大統領が派遣した調査官アール・ハリソンは、次のように書いている。

抹殺しないことを除けば、ナチスがユダヤ人を扱ったのと同じように扱っているように見える。

パットンはこの批判的な報告書に「激昂」したと、リヒトブラウは2014年11月のNPRのインタビューで語っている。「ハリソン一派は避難民を人間だと信じているが、それは違う」と、米国の戦争の英雄〔パットン〕は日記に書いている。「とりわけユダヤ人はそうだ。獣にも劣る」

ペーパークリップ作戦の科学者と同様に、CIAのナチス・スパイの多くは米国に移された。この新しく入り込んだ米国人の中には、ロシアのクラスノダール地方出身で北コーカサスの総統とあだ名されたチュチェリム・ソブゾコフや、アドルフ・アイヒマンの最側近でドイツの「ユダヤ人問題」への対処についてナチの方針を作り上げたオットー・フォン・ボルシュビングが含まれる。リヒトブラウはCIA将校の言葉を引用し、「我々はソビエトを倒すのに役立つ男なら、どんな男でも、ナチスの記録がどうであろうと雇い入れる」と書いている。

ウクライナのナチス協力者ニコライ・レベドは、戦時中のユダヤ人とポーランド人の大量殺戮に関係しているとされ、1949年に米国に連れて来られた。レベドの素性は謎に包まれてはいない。米陸軍はレベドを「有名なサディスト」と呼び、CIAは「悪魔」とコードネームで呼んだと伝えられている。しかしレベドは反ソ工作員として貴重な存在とみなされ、数年後、米移民管理当局が調査に乗り出すと、CIAは国外退去を阻止した。レベドは米国の保護下で生き続け、89歳でピッツバーグで亡くなった。

便利な敵、そうでない敵


J・エドガー・フーバー長官の下、FBIはナチスのスパイや情報提供者のネットワークも利用し、訴追や国外追放から守る手助けをした。ラズロ・アグは数千人のユダヤ人を殺害し、数千人の国外追放を助けたファシスト集団であるハンガリーの矢十字団への関与をFBI捜査官に認めている。アグは犠牲者の多くを拷問し、自分の大便を食べさせたり、一部が埋められた銃剣の上に飛び乗ることを強要したとされる。それでもフーバーはアグを反共産主義の情報提供者として採用し、移民管理当局がこのナチスの協力者をビザ詐欺で起訴して国外追放しようとした際、フーバーはこのハンガリー人が告白したことについてFBIの捜査官が証言するのを禁じたと歴史家はいう。

「フーバーとFBIは倫理的に卑しい立場を選ぶことによって、生死を問わず米国人の信頼を裏切った」と、『役に立つ敵』の著者で歴史家のリチャード・ラシュケは書いている。戦争犯罪者を保護するFBIの「沈黙の陰謀」は、米国人を「世界から見た無意識の偽善者」にしてしまったとラシュケは付け加える。「米国人は、選挙で選ばれたわけでもない、権力者の一団をどう判断すべきなのだろうか。この権力者たちは国家安全保障の名の下に、殺人犯を米国に迎え入れ、刑罰を免れる手助けをしたのだ」

フーバーは、ルーマニアのファシスト「鉄衛団」を率い、後に在米ルーマニア正教会の司教となったビオレル・トリファを擁護した。トリファは政治的なコネを持ち、議会で祈りを捧げ、リチャード・ニクソン副大統領(当時)と個人的に面会したこともある。ルーマニアに戻ったトリファは、戦争犯罪の疑いにより欠席裁判で死刑を宣告された。フーバーはトリファを「冷戦時代には非常に望ましい存在」と考え、1955年に司教の告発者の一人との会談をキャンセルするようニクソンを説得した。

米国のナチス移民は、1970年代に活動家がその責任を追及し始めるまで、ほとんど世間に知られることなく過ごしていた。1979年、米司法省は隠れた戦争犯罪者を調査・起訴し、国外追放にする新しい部署を設立した。しかしヒトラーの配下と取引していた連邦政府の部門が、司法省の構想の障害となった。

1979年、ソブゾコフが武装親衛隊の将校だったという経歴を偽り、ビザ偽造で起訴された際、CIAは突然、ソブゾコフがナチスの過去を明かしたという文書のコピーを発見した。その結果、CIAがソブゾコフを解雇したのは、戦時中の残虐行為ではなく、CIAに対して誠実でなかったからであることがわかった。ソブゾコフは死の部隊を率いたこと、問題児を処刑したことを認めたが、面接官はソブゾコフがまだ多くのことを隠していると考えた。

作家のハワード・ブラムは、ソブゾコフが東部戦線で140万人ものユダヤ人の殺戮に参加した機動殺人部隊の中尉であったと書いている。しかしソブゾコフはナチスとの関わりを公に否定し、ブルムとその出版社(ニューヨーク・タイムズ社所有)を名誉毀損で提訴した。ソブゾコフがCIAに助けられて起訴を免れたため、目撃者の態度は揺らぎ、著者の証拠書類は「ロシアの偽情報」だと異議を唱えられたため、ニューヨーク・タイムズは50万ドルの和解金を支払うことを選択した。真実が明らかになったのは、ソブゾコフの死後20年以上たった2006年、CIAが戦争犯罪に関する2万7000ページの文書の機密指定を解除したときである。

米国の輸入ナチスのすべてが、政府によって連れて来られたわけではない。その中には、腕にSSの入れ墨をした者も含まれている。エリザベス・ホルツマン米国下院議員は入国管理局に対し、戦争犯罪人の根絶を図る取り組みが「ひどくいい加減で、対応が表面的」だと非難した。

たとえば、戦時中にクロアチアのファシスト政権ウスタシャの高官だったアンドリヤ・アルトゥコビッチは、1948年に偽の身分証明書を採用し、観光ビザで米国に入国している。アルトゥコビッチは単純にビザをオーバーステイ(超過滞在)して、兄の経営するカリフォルニアの会社で働いた。1951年、ユーゴスラビアは戦争犯罪容疑でアルトゥコビッチの身柄を要求したが、米当局は7年間も引き延ばし、不法滞在者を送り返すことを拒否した。1986年に新たな要請でようやく引き渡されたときには、86歳になっていた。そのため、ユーゴスラビアで大量殺戮の罪で有罪判決を受け死刑判決を受けた後も、自然死が許されたのだった。

ウクライナ生まれのナチス協力者ヤコブ・ライマーは、ポーランドのトラウィニキの強制収容所で上級SS看守として働き、ゲットー清算に参加したとされている。1952年に米国のビザを取得し、2005年まで強制送還を免れていたが、米国からの強制送還を前に76歳で死去した。戦時中の行動を法廷で問われたとき、こう言ったという。「すべて忘れられたことだ。すべて終わったことだ」

ナチスからイスラム主義者へ


米国は、他の国々に対しては高潔な理想を唱えながら、ロシアに対しては極悪非道な同盟国と手を組むというパターンを、1979年に再び見せつけることになった。ソ連軍がアフガニスタンに侵攻し、カブールの共産主義政権を支える前から、CIAはイスラム教徒の反政府勢力に武器と資金を提供し始めていたのである。

当時のカーター大統領は、ソ連のアフガン介入を「国際的な行動規範のあからさまな違反」と攻撃したが、カーター政権はアフガンの親ソ政権を打倒しようとするジハード(聖戦)主義者に熱心かつ密かに武装を施した。1980年の大統領選挙で勝利したロナルド・レーガンは、この政策を継続した。

援助は1987年の6億3000万ドルをピークに、時代遅れのライフルからスティンガー対空ミサイルへと高度化し、ソ連侵攻前に政府と戦っていたイデオロギー色の薄い反乱軍ではなく、パキスタンの好む過激派戦闘員に主に流された。

ムジャヒディン(イスラム聖戦士)と米政府には、ロシア人を殺すという共通の目標があるだけだった。1989年にソ連軍がアフガニスタンから撤退し終わると、この同盟は敵同士となった。反乱軍の一部は後にタリバンを結成し、アフガニスタンを占領して民間人に対する残虐行為を行い、2001年9月11日に米国史上最悪のテロ(同時多発テロ)を行ったとされるイスラム教徒アルカイダをかくまった。

アルカイダもまた、アフガニスタン紛争から誕生した。グループのリーダーであるオサマ・ビンラディンとその戦闘員の多くは、かつて米国が供給した武器でソビ連と戦っていた。その皮肉な出自から、アルカイダ(AI-Qaeda)ならぬ「Al-CIAeda」というニックネームが生まれた。しかしこの大惨事から学んだ教訓があったとしても、それはどうやら無視されたようである。

米国とその同盟国は、ロシアが支援するシリアのアサド大統領政権を追放しようとしたが失敗し、再びイスラム反体制派を支援することになった。米政府は「穏健派」の反体制派のみを支援すると主張したが、意図的であろうとなかろうと、米国の武器はヌスラ戦線やアフラル・シャームといったジハード主義グループの手に渡ってしまったのである。国連によると、シリア内戦では30万人以上の民間人が死亡した。また、この戦争で数百万人のシリア人が難民となり、欧州の移民危機を引き起こした。

米国の最新反ロシア計画


2014年に米国がシリアの反政府勢力への援助を強化していたときでさえ、バラク・オバマ政権は時間を見つけて、選挙で選ばれたビクトル・ヤヌコビッチ率いるウクライナ政府に対するクーデター(ユーロマイダン革命)を支援した。ヤヌコビッチはウクライナの欧州連合(EU)加盟を支持すると言っていたが、西側諸国からは親ロシア的すぎると見られていた。

ネオナチの民兵が暴力的なユーロマイダン革命に力を貸し、その余波で反クーデターのデモ隊を鎮圧したのは、米国にとって許容できる協力であったようだ。極右政党であるスボボダ党のメンバーが新政府の指導的地位についたとき、米政府は彼らと一緒に行動した。ジョン・マケイン上院議員の場合は、キエフの独立広場でオレフ・チャフニボーク〔全ウクライナ連合「自由」総裁〕と文字どおり同じステージに立った。

オデッサ市で反ユーロマイダン派のデモ参加者が襲撃され、少なくとも48人が死亡、数百人が負傷しても、オバマ政権は何の非難もしなかった。犠牲者の多くは同市の組合会館に避難しようとしたところを極右の暴徒に焼き殺された。他の人々は燃えている建物から逃げようとしたときに撃たれたり、殴られたりした。

ウクライナのファシスト集団「右派セクター」は、この大虐殺を「祖国の歴史にまた新たな輝かしい一ページが刻まれた」と祝福で応えた。米メディア、デイリー・ビーストから反ヤヌコビッチ野党の「新星」と称賛されたウクライナのレシア・オロベツ議員も、オデッサの事件を親ロシア派の「清算」と呼び、殺戮を祝ったと伝えられる。

今日に至るまで、虐殺の実行犯は責任を取っていない。欧州評議会は2020年11月、ウクライナ政府が殺害の責任者を適切に調査・起訴できていないと結論づけた。

ウクライナは、公的な行進で崇拝されているステパン・バンデラなど、第二次世界大戦のナチス協力者を擁護し続けている。クーデターから2年後、キエフの大通りはステパン・バンデラ通りに改名された。リビウにもステパン・バンデラ通りがある。ウクライナのネオナチの考えでは、ヤヌコビッチの罪は、バンデラを「ウクライナの英雄」とする政府宣言を取り消したことである。

皮肉なことに、バンデラはCIAにとってさえも「過激」すぎると考えられ、CIAは代わりにニコライ・レベドやヤロスラフ・ステツコといった他のウクライナ民族主義者組織(OUN)の指導者と仕事をすることを選んだ。後者の著作は、スボボダ党の思想的基盤となった。

CIAの前身である戦略サービス局(OSS)は1945年9月、バンデラが戦時中に「恐怖の支配」を行ったと結論づけた。しかし米陸軍はバンデラを戦犯としてソ連に送還することを拒否した。2006年に公開されたCIAの文書によると、「米情報当局は、バンデラの逮捕が今後、米国の対ウクライナ作戦に即座に悪影響を及ぼすと認識していた」という。

ウクライナの「英雄」たち


米国の指導者には、ウクライナの現代のナチスに対し懸念を抱く者もいた。例えば、議会は2018年3月、メンバーの多くがネオナチ思想を公然と宣言しているアゾフ大隊に、米国のウクライナ向け軍事援助が流れることを禁止する決議を行った。「白人至上主義やネオナチは容認できないし、我々の世界に居場所はない」とロー・カンナ下院議員は当時述べている。米国の議員らは2016年、国防総省の要請で以前の禁止令を撤廃していた。

この問題は当時から物議を醸していた。大手メディアはウクライナの「ナチス問題」について書いた。2016年に資金提供禁止が撤廃されると、サイモン・ウィーゼンタール・センター〔米ユダヤ団体〕は、米国が 「ナチス協力者の美化、ナチスの味方として戦った人々への経済利益の提供、共産主義とナチスの犯罪は同じだというたわ言の組織的推進を、さまざまな政治的利害からわざと無視 している」と議会を非難した。

米国の上院議員40人は2019年、アゾフ大隊やその他の極右団体を国務省のテロ組織に指定するよう要求する書簡に署名した。

ワシントンのリバタリアン系シンクタンク、ケイトー研究所は2021年5月、ウクライナの「独裁主義への転落」が加速していると記した。「戦略的な理由でウクライナを米国の同盟国として扱うのは無謀であり、民主的な連帯を主張する根拠としてそうするのは道徳的に不快だ」と、同研究所のテッド・ガレン・カーペンター上級研究員は述べている。

バイデン政権は、この忌まわしさを増す従属国を一刻も早く切り捨てるべきだ。

しかし昨年末に現在のウクライナ危機が湧き始めると、そのような懸念は打ち消されてしまった。昨年12月、米国とウクライナは、「ナチズムやネオナチズムの賛美、その他人種差別を助長する行為との闘い」という国連総会決議に反対票を投じた、ただ二つの国となった。ウクライナが反対した他の条項には、ドイツのナチスやその協力者の記念式典を禁止するよう求めたものがある。

ウクライナ軍がロシアと戦っている今、米国とその同盟国、西側メディアは、ウクライナをさらに無批判に支持している。バイデン米大統領は、ウクライナのゼレンスキー大統領が野党を禁止し、批判的な放送局を閉鎖し、反対者を逮捕するなかでも、この紛争を「民主主義と自由」のための戦いと位置づけている。

フェイスブックは、ロシアの軍事攻撃が始まった2月24日にルールを変更し、約30億人のユーザーがアゾフ大隊を称賛することを許可した。メディアもアゾフ大隊のイメージを和らげた。例えば、ワシントン・ポスト紙は「民族主義的な組織」と呼び、以前は「公然たるネオナチ」と呼んでいたニューヨーク・タイムズ紙も「有名な」と呼び始めた。

ウォールストリート・ジャーナル紙は、アゾフ大隊とナチスの結びつきを隠蔽する一方で、隊員の勇気を称賛した。9月には複数のメディアが、ロシアの捕虜となっている間に過酷な扱いを受けたとされるアゾフの戦士について同情的な記事を書き、ビジネスインサイダーは治療費が必要な隊員のために13万ドル以上の募金が集まったと指摘した。

「ウクライナの腐敗と独裁主義を隠そうとするメディアの姿勢は、ロシアとの戦争が始まってからさらにひどくなっている」と、ケイトー研のカーペンターは5月に述べている。「ウクライナ戦争の報道は、メディアの誠実さと信頼性において、かつてないほど低い水準に陥る恐れがある。既成の報道機関が明らかなネオナチの行動を隠蔽するのは、何かがひどく間違っている」

実際、アゾフのイメージは大きく変わり、共同創設者のギオルギー・クパラシュビリら大隊の代表5人は、代表団の米国ツアーの一環として9月にワシントンで50人以上の連邦議会議員と面会したと伝えられている。同大隊は先月、デトロイトのウクライナ系米国人教会を訪問した際、ウォルフスアンゲル〔ナチスが使用したドイツの紋章〕のロゴが入ったアゾフのワッペンをオークションに出品している。

また先月には、ソ連のロディオン・マリノフスキー元帥を記念して名付けられたキエフの通りが、アゾフ大隊の「英雄」を称えるために正式に改名された。10月26日の改名式に出席した高官の中には、ネオナチの仲間から「白い支配者」とあだ名されたアゾフの創設者アンドレイ・ビレツキーがいた。マリノフスキーはウクライナ出身で、1943年から1944年にかけて同国の大部分をヒトラーのナチスから解放し、ソ連の英雄に2度選ばれている。

ウクライナのファシスト勢力は、どうやら社会の片隅や軍の片隅に限られたものではなさそうだ。ウクライナ軍最高司令官であるワレリー・ザルジニー将軍は、10月6日のツイッターで、鉤十字が描かれたタイルでできたブレスレットを身に着けているとおぼしき写真を投稿した。ザルジニーは後に、ブレスレットにはスカンジナビアの異教徒のシンボルが描かれているが、画像のデジタル圧縮により鉤十字のように見えると主張した。

しかし、ゼレンスキーが投稿した写真にはナチスのシンボルも登場しており、彼のボディガードの1人が「トーテンコップ(どくろの紋章)」のワッペンをつけているインスタグラムの投稿もある。第二次世界大戦でSS軍が着用した頭蓋骨と十字架のシンボルを示す同様のワッペンは、ウクライナ大統領が投稿した別の写真でもウクライナの兵士が着用していた。アゾフの戦闘員が公然と使用したナチスの画像とは別に、通常のウクライナの軍人はSSのワッペンをつけ、車両に鉤十字を描いた写真も撮られている。

歴史は繰り返す


このようなシンボルは、米国とその北大西洋条約機構(NATO)の同盟国にとって心配の種ではない。バイデン大統領は、ウクライナの「脱ナチス化」を目指すというロシアのプーチン大統領の主張を、「冷笑的」で「卑猥な」嘘だと言って退けた。他の反ロシアの声と同様、バイデン大統領は、ゼレンスキー大統領がユダヤ人の先祖を持つことは、ウクライナがナチスの傾向を持たないことを証明するものだと主張してきた。ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相は、ゼレンスキーはウクライナのナチス的傾向を「個人的にひいきにしている」と反論している。

そしてまた、米国の政府関係者は状況に応じてナチズムを非難する一方、とりわけ反ロシアの利益が共有されている場合は、役に立つかもしれない悪役をバラ色のレンズで見てきた長い歴史がある。後にCIA長官となるダレスが、ニュルンベルク裁判でヒムラーの「死の官僚」と呼ばれたウォルフを評価したときがそうであった。ヒムラー自身が所属していたOSSは、ウォルフを「住民を大量に殺戮した」と非難した。

ダレスは米政府への電報で、このSSの大物を「行動的」で「個性的」な人物だと称賛した。ダレスはウォルフをハンサムで信頼できる人物であり、「武装親衛隊の穏健な一員であり、ロマンティシズムが混じっている」とみていた。

クリストファー・シンプソンや他の歴史家が引用した文章は、ダレスら米諜報機関高官がナチスやその協力者を見る際、明らかに歪んだ考え方をしていたことを説明するのに役立つかもしれない。1951年から1954年までミュンヘンでCIAのソ連部門を担当したハリー・ロジツケは言う。「我々は自分たちが何をしているかを知っていた。反共産主義者であれば、どんなろくでなしでも使うという臓器移植ビジネスだった」

(次を全訳)
America’s Neo-Nazi bedfellows in Ukraine are latest in long line of odious allies Washington has used against Russia — RT World News [LINK]

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