2022-11-20

英雄ロックフェラー

事業家、ダニエル・コワルスキー
(2022年10月16日)

ジョン・D・ロックフェラー(1839〜1937年)は歴史上、不公平な論争にさらされる人物である。米国初の正統な億万長者であるロックフェラーは、死亡時に国内総生産(GDP)の1.5%に相当する14億ドル(2022年換算で2700億ドル)の資産をもち、米国史上最も裕福な人物となった。

ロックフェラーはスタンダード石油の創業者として、手頃な価格の石油製品を通じて一般庶民の生活の質の向上を促し、財を成した自営業者だった。そのビジネス手法は、今日でも有効な大企業の構造と手法の土台を築いた。

しかしジャーナリストのアイダ・ターベルが『スタンダード石油の歴史』を出版し、ロックフェラーを冷酷な略奪者、自分に挑戦しようとする競争相手をつぶすために汚い手を頻繁に使う人間として描き、その評判は著しく損なわれた。じつをいえば、ターベルの父親はスタンダード石油に敵対する石油事業者であり、スタンダード石油と互角に戦えず、事業から撤退させられていた。ターベルは、正直な男たちが、悪のロックフェラーが現れて奪うまでは、いい暮らしをしていたというストーリーを披露した。これは真実味のない、不公平な描写であった。

産業の発展


ターベルの本は、ロックフェラーが企業をいじめるか、戦うかの話が中心ではあるが、石油産業の初期の歴史が詳しく紹介されている。19世紀以前、石油は理解されず、地面から湧き出し、淡水を汚染する厄介な存在とみなされていた。やがて誰かがこの物質を研究所に持ち込んで研究することを思いつき、簡単に燃やすことができることが発見された。そしてこの黒い物質が多量に存在するペンシルべニア州西部に最初の掘削業者が現れ、石油産業が誕生したのである。

石油産業の初期は、黒い金塊(石油)が信じられないほど簡単に手に入り、どんな新しいビジネスでも今よりずっと参入障壁が低かった時代である。当時は無駄が多く、非効率的な時代だった。多くの人が一攫千金を狙い、ビジネスモデルを改善する理由もなかった。石油採掘業者は採掘が終わる前に樽を使い果たし、余分な石油を流し、環境にダメージを与えながら、製品を無駄にすることがよくあった。精製業者は石油を灯油にすることに特化していた。この工程では元の石油の量の60%は残るが、残りの40%は廃棄物として捨てられ、また環境を破壊していた。1860年代、石油産業は新しく、南北戦争と戦後の好景気による石油の需要で、この職業に就く人は簡単に儲かるようになった。しかしすべての好景気がそうであるように、長続きしなかった。ついに破綻したとき、生き残ったのは強い事業家だけだった。

垂直統合


石油業界には多くの有力な実業家がいたが、ただ一人、ジョン・D・ロックフェラーだけが、今日巨人として記憶されるほど、この業界を支配した。ロックフェラーの成功にはさまざまな要因があるが、なかでも重要なのは、コスト削減のために垂直統合をビジネスに取り入れたことである。まず製油所の配管工を下請けではなく、直接雇用することでコストダウンを図った。また樽の製造も外注ではなく、自社で直接行うことにした。これによって自分のニーズに合った製品を作ることができるようになり、その分コストも60%ほど削減できた。ロックフェラーはこのような工夫により、コスト削減と同時に、自分の管理の及ばない他人や企業への依存を減らし、効率を高めたのである。

無駄を省く


他の精製業者が灯油の副産物を捨てている間、ロックフェラーはこれらの製品がどのように役に立つか懸命に考えた。その結果、ガソリンや石油ゼリー(軟膏として販売)など、これまでにない製品が誕生した。そしてこれら新製品を自分のビジネスに生かすと同時に、消費者に販売した。灯油の製造にかかる費用はすでにほぼ賄われていたため、これによって収入が増え、さらに利益も増えた。

支配力の強化


ロックフェラーの経歴の中で最も議論を呼んだのは、1872年の南部改善会社に関するものだ。現代ではロックフェラーがこの計画のメンバーとして最もよく知られていると思われるが、南部改善会社は主要鉄道会社のトップによって構想され、道路や近代的な乗り物が存在する以前の産業輸送を分担するために結託したものである。この計画ではスタンダード石油をはじめとする大企業はリベートや割引を受け、小企業は割高な運賃を支払わなければならなかった。

この計画は公にされ、暴露された後は、政府当局が歯止めをかけるために動くことになる。ロックフェラーはこの計画で利益を得る一方で、鉄道会社の誠意はあまり信用していなかったようである。自分のビジネスの成功を鉄道会社の力に依存させたくないという思いから、石油パイプラインの技術革新を進め、自分たちの手で製品を輸送できるようにした。

ウィンウィンの関係


南部改善会社のスキャンダルがロックフェラーの評判に大きな傷をつけたのは、クリーブランドの二十四の製油所のうち二十二を買収する「クリーブランドの大虐殺」と呼ばれる事件を起こしたからである。ロックフェラーはこの事件をきっかけに、商売をするときによく使うパターンを身につけた。競合他社に会い、自分の帳簿を見せるのである。ロックフェラーがあまりにも大きく効率的な企業であることを知った競合他社は、選択肢を与えられた。一つ目は、自分の会社をスタンダード石油に売却する。大組織で役員クラスの仕事を提供され、より多くの金を稼ぐことができるが、もはや自分がボスではなくなる。二つ目はその取引を拒否し、ロックフェラーと競争するかだ。

アイダ・ターベルの父親のように、取引を拒否した者はしばしば廃業に追い込まれ、一方、取引をした者は金持ちになった。

消費者の勝利


ロックフェラーは国内の競合他社よりも規模が大きく、価格競争力を武器にビジネスを展開していた。ときには双方が赤字で販売し、倒産しなかった方が勝者となるような激しいビジネスバトルもあった。しかし本当の勝者は、灯油を安く買えるようになった消費者である。

スタンダード石油は独占企業だと私たちは教えられる一方で、「独占企業は安売りの心配をせずに客から金をむしり取ることができるから悪だ」とも信じ込まされている。しかしスタンダード石油の場合、現実は逆だった。たしかに大きな利益を上げてはいたが、その利益の大部分はコスト効率によるものであり、価格の引き上げによるものではなかった。実際、1870年から1897年の間に、灯油の価格は1ガロン26セントから6セントにまで下落した。

ロックフェラーは競争相手には容赦なかったが、その義務は競争相手を助けることではなかった。勤勉と効率へのこだわり、イノベーションによって、業界のリーダーとなったのである。

そうすることで、何千万人もの人々の生活の質を向上させ、何十万人もの雇用を生み出した。ロックフェラーは悪人ではなく、英雄として記憶されるべき存在である。世の中をより良く、より豊かな場所にしたのだ。

(次を全訳)
Why John D. Rockefeller Is a Hero Worth Celebrating, Not a Villain - Foundation for Economic Education [LINK]

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