2022-04-30

不介入主義こそただ一つの賢明な道

米ペンシルバニア州ランカスター・リバタリアン党、ダニエル・マーティン
(2022年4月27日)

紛争の経緯や背景が複雑すぎて理解できないという諦めから、人々は単純化された物語を受け入れてしまう。 その結果、世間ではプーチン批判と、プーチンには一切譲歩しない(たとえウクライナ人自身を犠牲にしても)という考えが美徳とされるようになった。

外交上の不介入主義は、プーチンは米国の指導者ではないので、その悪い行動に米国人が責任を負うことはできない、という賢明な立場をとる。 逆に、ウクライナ紛争を誘発したNATOの役割を少なくとも認めれば、自国の指導者の責任を追及し、より外交的な雰囲気を作り出すよう圧力をかけられるだろう。

米欧はこの戦争を防ぐためにできる限りのことをしなかったし、戦争を終わらせる明確な提案を何もしていない。米国とNATOは、プーチンが要求したというウクライナ中立への同意、周辺NATO軍の撤退、ドネツクとルガンスクの独立などに対し、何も提示していない。

それどころか、反ロシアのNATO傀儡政権を据えた2014年のマイダン・クーデターにおける米国の役割を無視し、過去8年間にロシア語圏のドンバス地方で起きた1万4000人の死の多くに責任を負うウクライナ政府のネオナチ分子(アゾフ大隊など)も無視することが、一般的な物語となっている。

米国は過去数年間にウクライナに送った数十億ドルの兵器によって、すでにロシアに対して交戦国となっているのだ。バイデン政権はウクライナを武装させるために支出を増やし続けており、ロシアはそれをやめるよう公式に警告している。これが第3次世界大戦に発展しないと言えるだろうか。

大多数の米国人は、マスメディアに頼り、戦争が「勝利」につながるという仮定のもと、ウクライナの武装について沈黙するか、声高に支持する。 兵器が戦争を長引かせるだけかもしれないと、考えたことがあるのだろうか。 ウクライナの一般市民にとって、戦争が行われている限り、本当の勝者はいない。

「人道的戦争」という考えは高貴に聞こえるが、人類の真の勝利は、平和への最短距離の道筋をもたらすことにある。 その道が何かの解釈は、どの情報源に従うかによって大きく異なる。軍産複合体に親しい情報源によれば、ウクライナは勝利に近づいており、次の兵器の出荷さえできればいいらしい。

ダグラス・マクレガー大佐やスコット・リッター元国連兵器査察官ら軍事専門家の考えは異なる。ロシアが迅速かつ決定的な勝利を得られなかったのは、西側からウクライナに提供された余分な兵器のせいではなく、ロシア自身の自制心と軍事目標の限定に起因するという。

それでは、現在ウクライナで起きていることは、誰の説明が正しいのだろうか。 過去二十年間、公式発表が正しかったことは他にいくつあるだろうか。イラク、シリア、リビア、イエメンは、米国の軍事介入によって本当に良くなったのか。今回は何が違うのだろうか。

ウクライナが戦争に「勝つ」ために米国が何かしなければならないという考えは、オバマ氏が大統領就任前に述べた、「アフガニスタンは我々が勝たねばならない戦争だ」というのと同じくらい不確かな提案である。米国人の利用された同情心は、ウクライナをアフガンのような泥沼に変えてしまうのか。

(次より抄訳)
Non-Interventionism In the Only Sensible Path Forward | The Libertarian Institute [LINK]

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