注目の投稿

「反インフレ経済勉強会」開講のお知らせ

インフレは税の一種です。しかも普通の税よりも悪質な税です。ところが、この事実はよく理解されていません。それどころか、多少のインフレはむしろ良いことだという嘘が、現在主流の国家主義的な、誤った経済学(ケインズ経済学)や、そこから派生した極端な説 (MMT=現代貨幣理論など) によっ...

2025-10-30

強盗男爵の神話

この記事は、米国の「金ぴか時代」の「強盗男爵(Robber Barons)」という支配的な歴史観を批判し、ジェームズ・J・ヒルを「市場の起業家」の模範として紹介している。主流な歴史解釈は、規制のない自由市場が「強盗男爵」を生み出し、政府介入がその弊害を是正したとするが、これは誤りであると指摘する。著者のバートン・フルサムは、連邦政府の援助や政治的手段で成功しようとする「政治的起業家」と、優れた製品を低コストで市場に提供することで成功を目指す「市場の起業家」を明確に区別すべきだと主張している。大陸横断鉄道の建設は、政府による大規模な補助金、土地供与、融資によって始まり、腐敗、浪費、非効率が蔓延した。これらの補助金を受けた鉄道は、経済計算の原則に縛られず、失敗すると世論の怒りを買い、さらなる有害な政府規制を招いた。皮肉にも、多くの鉄道会社は競争を避けるために規制を歓迎したのだ。これに対し、ヒルの建設したグレート・ノーザン鉄道は、公的資金を一切使わずに建設された唯一の大陸横断鉄道であり、一度も破産しなかった。ヒルは、低コスト、効率性、最短ルートを追求し、市場の需要に応えることで消費者に貢献し、政治に頼る「強盗男爵」の対極にある市場の起業家であったと結論づけている。
The Myth of the “Robber Barons”: James Hill versus the Crony Competitors | Mises Institute [LINK]

アメリカの鉄道王ウィリアム・H・ヴァンダービルトは、「公衆などどうでもいい(the public be damned)」という発言で知られているが、この記事は、その発言の背景と、株主利益と公共の利益の関係について論じている。父コーネリアスから莫大な遺産を継いだウィリアムは、ニューヨーク・セントラル鉄道を統合・拡大して巨万の富を築き、一時は国内で最も裕福な人物となった。彼の富は、父から受け継いだ才能と野心によって四倍に増やされたという点で、他の裕福な二世たちとは一線を画している。問題の「the public be damned」発言は、1882年の記者会見中に、彼の限定急行列車が「公衆の便宜のために運行されているのか」と問われた際に出たものとされる。ヴァンダービルトは言葉自体を否定したが、その高慢な態度から否定は空虚に響いた。しかし、鉄道が株主の利益のために運行されており、乗客の便宜が第一ではないという彼の発言の本質は正しかった。実際、ニューヨーク〜シカゴ間の豪華な旅客サービスは、単独では赤字であったが、ネットワーク全体の他の事業を呼び込む「見せ物」として、長期的な利益につながっていた。現代の経営においても、特定の製品やサービスが赤字でも、全体的な価値を最大化するために不可欠な場合がある。現代の企業経営において、顧客(公衆)の要求に応えることは、株主価値の最大化と一致することが多いため、「ステークホルダー資本主義」は特に目新しいものではない。株主価値の最大化という限界を超えて、株主以外のステークホルダーに注意を向けるべきではない。それでもなお、「the public be damned」という発言は賢明ではない、と結論づけている。
"The Public Be Damned" | Mises Institute [LINK]

2025年のノーベル経済学賞が、「創造的破壊」による成長モデルで知られるフィリップ・アギヨンらに授与されたが、この記事は彼らの業績がヨーゼフ・シュンペーターのビジョンを「創造的に裏切った」ものだと批判している。シュンペーターは「創造的破壊」を、資本主義が内部から自らを革新する生命力として捉え、政府の介入を正当化するために用いることを意図していなかった。彼にとって独占利潤はイノベーションへの報奨であり、破壊は創造に必要なプロセスだった。しかし、アギヨンらはシュンペーターの概念を数学的な方程式でモデル化し、イノベーションをR&D支出の機械的な結果に還元。市場は「過剰または過少なイノベーション」を生み出すという結論を導き出し、政府による介入(補助金、失業保険など)を推奨した。著者は、アギヨンの提言が、失業の緩衝化やハイテクへの政府補助金を通じてイノベーションの活力を削ぎ、シュンペーターが警告した過剰規制と社会主義化の予言を成就させつつあると指摘。アギヨンの助言が影響したとされるフランスの政策も、債務増加と成長停滞を招いているとして、今回の受賞を「数学的合理性の勝利であり、経済思想の敗北」と断じている。
The 2025 Nobel Prize in Economics: A “Creative Betrayal” of Schumpeter’s Vision | Mises Institute [LINK]

この記事は、「起業家精神」そのものは大学で「教えることはできない」というオーストリア学派の主張(ミーゼスやダグ・フレンチの批判)に同意しつつも、大学の起業家教育プログラムには二つの大きな価値があると擁護している。まず、オーストリア学派が定義する起業家精神の核心は、「不確実な未来に対する投機(speculation)」や、「ナイト的不確実性下での判断(judgment)」といった天性の能力や直感にあり、経験を通じて磨かれるため、教室での教育には限界がある。しかし、大学プログラムの価値として、第一に、問題検証、アイデア創出、プロトタイピング、交渉術といった起業に必要な周辺スキル(tangential skills)を体系的かつ大規模に教える機会を提供できる点を挙げる。これらは学生が「起業家的思考」を身につけ、新規事業創出や企業内起業(イントラプレナーシップ)に役立つ実用的な訓練となる。第二に、オーストリア経済学の真実を広める主要な場となる点である。起業家精神の研究分野は、他の学問分野と異なり、カーズナーやクラインらの影響でオーストリア学派の思想が主流に残りやすい「比較的安全な砦」であり、破壊的なイデオロギーに晒されている次世代の学生に、自由市場と人間の行為学(プラクシオロジー)の原則を教育する極めて肥沃な土壌であると結論づけている。
We Can’t “Teach” Entrepreneurship, But We Can Inspire Future Entrepreneurs | Mises Institute [LINK]

0 件のコメント: