この記事は、1958年にミーゼスがブエノスアイレスで行った講演に基づいたもので、自由市場経済(経済的自由)の本質と、それが失われた際の影響を鋭く説いています。主なポイントは以下の通りです。
1. 経済的自由の本質
ミーゼスにとって、「経済的自由」とは、個人が社会の中でどのように貢献し、生きていくかを「自ら選択できる」状態を指します。
経済的自由は、言論の自由や信教の自由といった他の自由から切り離せるものではありません。
市場がなく、政府がすべてを決定する社会では、たとえ憲法で保証されていても、あらゆる自由は「幻想」となります。例えば、政府が印刷機をすべて所有していれば、政府に批判的な意見を出版することは事実上不可能になります。
2. 消費者が「真のボス」である
市場経済において、企業家や資本家が支配者であるというのは「誤解」であるとミーゼスは指摘します。
消費者の主権: 市場における真のボスは消費者です。消費者が買わなければ、どんな大企業もその地位を失います。
雇用主が従業員に命令を下すのは、背後で消費者が雇用主に(購買行動を通じて)命令を下しているからです。市場とは、人々が互いに奉仕し合う協力のプロセスです。
3. 社会主義の不可能性(経済計算の欠如)
社会主義体制下では、個人の職業や住居は政府の命令(計画)によって決定されます。
社会主義の根本的な問題は、市場価格が存在しないため、何を作るのが最も効率的かを判断する「経済計算」ができないことです。
ソ連の事例(当時の文脈)については、西側の市場価格を参考にしていたに過ぎず、純粋な社会主義モデルが成功した証明にはならないと批判しています。
4. 「間違える自由」こそが自由
自由とは、他人が見て「愚か」だと思うような選択をする権利も含みます。
政府が「国民の健康のため」に飲酒や喫煙を規制し始めると、その論理は容易に「精神の健康のため」に悪い本や思想を規制することへ拡大します。
ミーゼスは、他人の生活様式を警察の力で変えさせるのではなく、言論や説得によって変えようとするのが自由な社会のあり方だと説いています。
5. 結論:自由か奴隷か
社会主義と市場経済の違いは、結局のところ「個人が自分の人生を選択できるか(自由)」か、「上司の命令に従うしかないか(奴隷)」かの違いに集約されます。
経済的自由を失うことは、人間としての尊厳と他のすべての市民的自由を失うことと同義である、というのがミーゼスの強いメッセージです。
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