この記事は、リバタリアン思想の二大巨頭、マレー・ロスバードとデヴィッド・フリードマンの外交政策における共通点と相違点を比較・分析したものです。
要約すると、両者は「非介入主義(孤立主義、内政不干渉)」という結論では一致していますが、そこにたどり着くまでの論理(アプローチ)が大きく異なります。
1. 思考スタイルの対比
著者は、両者のアプローチを以下のように定義しています。
マレー・ロスバード(原則派): 確固たるリバタリアン原理(道徳)から議論を展開します。国家を「組織犯罪」と見なし、国家による暴力を最小限に抑えるべきだと主張します。
デヴィッド・フリードマン(実利派): 固定的なルールよりも、各政策のコストと利益(ベネフィット)を重視します。政府が実際にうまく機能するかどうかという実務的な視点で分析します。
2. 共通の結論:なぜ「非介入」なのか
両者とも「国家は物事をうまく遂行できない」という理由から、米国の非介入主義を支持しています。
フリードマンの主張(無能論): 外交介入が成功するためには、10年後の敵味方を正確に見極める高度な能力が必要です。しかし、政府は「郵便局を経営するのと同じレベル」で外交を運営しているため、介入は必ず失敗し、不必要な戦争に巻き込まれるだけだと説きます。
歴史の教訓: フリードマンは、第二次世界大戦前の「ミュンヘン会談」の例を挙げ、当時の介入主義的な外交がむしろ独裁者(ヒトラーとムッソリーニ)を結束させてしまったという皮肉な結果を指摘しています。
3. 核兵器に対する決定的な違い
核兵器の扱いにおいて、両者の違いが最も顕著に現れます。
| 項目 | マレー・ロスバード | デヴィッド・フリードマン |
| 核戦争の捉え方 | 「自由に対する最大の敵」であり、大量虐殺そのもの。 | 抑止力や利害得失を考慮すべき複雑な問題。 |
| 道徳的立場 | 絶対的反対。 無実の人々を殺す核使用はいかなる場合も許されない。 | 条件付き検討。 無実の殺傷は重大な検討事項だが、完全に排除はしない。 |
| 求める政策 | 徹底した孤立主義と、相互的な核軍縮交渉。 | 同盟網を維持せず、「実際に攻撃してきた相手と戦う」自衛に徹する。 |
4. 結論
著者は、フリードマンの姿勢を「資本主義は最善ではないが、マシな選択肢である」としたフランク・ナイトになぞらえ、「政府の介入は、やらないよりはやった方がマシという程度にも到達しない」という消極的な理由で非介入を支持していると見ています。
一方で、ロスバードにとって非介入は「道徳的な義務」です。国家が「自由を広める」という名目で他国の市民を殺傷することは許されず、道徳こそが決定的な判断基準であると結論づけています。
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