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2025-10-27

繁栄と進歩の思想

2025年のノーベル経済学賞は、イノベーションと経済成長に関する先駆的な研究を行ったジョエル・モキイア、フィリップ・アギヨン、ピーター・ホーウィットの3氏に授与された。彼らの研究は、長期的な繁栄の推進力が、制度や資本だけでなく「アイデア(思想)」の力にあるという理解を確立した。特にモキイア氏は、経済史と現代成長理論の橋渡しを担った。彼は主著『啓蒙された経済』や『成長の文化』の中で、近代世界の繁栄は「進歩の思想」という文化革命に起因すると論じている。伝統を疑い、実験を奨励するヨーロッパの姿勢がイノベーションの自己強化サイクルを生んだという洞察である。彼の主要な貢献は以下の通りだ。①【機能する制度】工業化で重要だったのは、国家の形式的な制度よりも、徒弟制度や専門協会などの民間の自主的な協力ネットワークであり、知識の交換と応用を育んだ。②【科学と技術の関係】科学は初期の技術開発に先行しなかったが、後に技術を体系的に研究・改良するための「認識基盤(epistemic base)」を提供することで、継続的なイノベーションを可能にした。③【ヒューマン・キャピタル】形式的な教育よりも、知識を生産的に応用する能力、すなわち職人や技術者による知識の完成と普及が、最も大きな経済的利益をもたらした——。アギヨン氏とホーウィット氏は、シュンペーター型成長モデルを確立し、資本蓄積が研究、実験、「創造的破壊」を促進することでイノベーションを刺激することを理論的に示した。これは、モキイア氏の歴史的知見に理論的裏付けを与えるものである。彼らの研究は、繁栄の根源が市場や機械だけでなく、進歩への信念や、開かれた社会基盤にあることを示し、イノベーション政策が投資だけでなく社会的な協力と知識の普及に注力すべきであるという、政策当局者への重要な指針となっている。
Joel Mokyr, Philippe Aghion, and Peter Howitt: The 2025 Nobel Winners in Economics | Mises Institute [LINK]

最近の言論では、AIが雇用を破壊するとの「AI終末論」や、技術進歩に反発するネオ・ラッダイト的感情が保守派を中心に広がっている。コメンテーターのマット・ウォルシュ氏は、「AIは人間の要素を完全に排除し、職を消滅させる。ごく一部の富裕層を除き、大規模な失業が起きる」と主張する。ウォルシュ氏は、AIは人間を単に補強した過去の技術(自動車など)とは異なり、人間を不要にする点が本質的に危険だと強調する。しかし、本記事はウォルシュ氏の主張を誤謬であると指摘する。資本財である機械を生産し維持するためには、必ず労働(人間の手)が必要であり、人間が全く不要になることは不可能である。技術進歩は労働の限界生産性を高め、その対価である賃金も上昇させるため、労働者が職を失うことにはならない。もし仮に、人間が全く不要になるほど生産が効率化されたならば、それは豊かな消費と多くの余暇が得られる「エデンの園」のような素晴らしい未来となる。したがって、AIによる大量失業の懸念は、技術進歩の経済的影響を誤解した「ネオ・ラッダイトの誤謬」に過ぎないのだ。
Neo-Luddite Hokum from Conservatives Strikes Again | Mises Institute [LINK]

資本主義への反発の根源は、自由と自発的な交換によって生じる階層への嫉妬ではなく、自由と国家主義の根本的な違いに対する誤解にある。今日一般に「資本主義」と呼ばれているものは、真の資本主義ではなく、市場の外観を装った国家主義であり、支配階級が法律や通貨を操り、政治的なつながりを持つ特権的な集団を保護する二階級システムである。一般市民の市場活動は、支配層の権益を脅かさない周辺領域でのみ許容されているに過ぎない。この「偽の資本主義的秩序」は、個人による選択を否定し、恣意的な計画と依怙贔屓で個人の役割を奪う集産主義的な構造を持つ。大衆が排除されているのは、真の資本主義が不在であることの証明であり、失敗ではない。真の資本主義は階級を解消し、支配を分散させる。これに対し、国家は価格や信用を歪ませ、混乱が生じると介入の失敗ではなく市場のせいにする。この悪循環は、最終的に全体主義へと向かう。資本主義を最も激しく憎悪する人々が求める「正義」や「公正」は、皮肉にも資本主義の美徳である。彼らが拒絶しているのは、資本主義の公平性である。彼らが嫌っているのは資本主義そのものではなく、特権や強制ではなく、自由な判断に基づく自発的な交換でのみ価値が決定されるという、資本主義が提供する努力と個人の価値の認識を強く求めていることに気づいていないだけなのである。
Understanding Resentment against Capitalism | Mises Institute [LINK]

共産圏の旧式車が西側市場で陳腐化したように、市場批判者は、資本主義が製品を意図的に短期間で陳腐化させる「計画的陳腐化」という悪徳を助長すると非難する。消費者に新製品の購入を強要するという主張だ。しかし、本記事はこの概念が経済的に誤りであると論駁する。企業が製品を改良するのは、新しいものを「強制」するためではなく、技術進歩と性能向上のためである。例えば、Appleが旧型iPhoneの速度を落としたのは、買い替え促進ではなく、バッテリー劣化による突然のシャットダウンを防ぐという技術的対応のためだった。また、意図的な早期陳腐化は、製品の転売価値を下げ、新製品価格を下落させ、顧客をより長持ちする製品を作る競合他社に奪われるため、企業にとって自滅的な政策となる。実際、現代の自動車は50年前より遥かに長寿命化し、コンピューターは安価で高性能化している。古い技術が陳腐化するのは当然の進化であり、消費者はこの恩恵でより良い製品を享受している。「計画的陳腐化」の概念は、技術革新を非難し、政府の介入を正当化するための政治的なレトリックに過ぎず、経済的な合理性を欠く。
The Myth of Planned Obsolescence | Mises Institute [LINK]

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