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インフレは税の一種です。しかも普通の税よりも悪質な税です。ところが、この事実はよく理解されていません。それどころか、多少のインフレはむしろ良いことだという嘘が、現在主流の国家主義的な、誤った経済学(ケインズ経済学)や、そこから派生した極端な説 (MMT=現代貨幣理論など) によっ...

2025-10-14

真理は大衆に語るな

アルバート・ジェイ・ノック(1870〜1945)は、アメリカが19世紀末の自由放任主義の時代からニュー・ディール的管理国家へと移行する過程を生き、自由主義的批判を展開した思想家である。彼は神父を辞して文筆に専念し、雑誌 The Freeman を設立。個人の自由と国家(State)との区別を重視し、政府が「政治的手段」によって富を再分配する仕組みを問題視した。ノックは、政治を通じて他者の富を奪おうとする勢力を「国家」という枠組みで批判し、代わりに自然権と自発的結合を基盤とする統治を支持した。彼はまた、「Remnant(残余)」という概念を学究的に用い、真理を語る者はいわゆる大衆ではなく、原理を理解できる少数者に向けて働きかけるべきだと主張した。ノックの思想は、後の自由主義運動や旧右翼運動、リバタリアニズムに大きな影響を与えた。たとえば、ウィリアム・F・バックリーらは、ノックの厳格な個人主義と反政治的傾向を評価している。ノックによれば、国家は歴史的に侵略と略奪の手段として発展してきたものであり、改革はその構造を根本から問い直すべきである。彼はまた、教育制度や平等主義を批判し、平等な知能や能力を前提とせず、優れた知性と品性を育てるエリート教育の必要性を説いた。
Albert Jay Nock, Radical Individualism, and the Remnant | The Libertarian Institute [LINK]

シェルドン・リッチマンは、トランプ大統領が就任初日に出した、「バイデン時代の言論制限政策を繰り返さない」との大統領令は虚偽であったと批判する。実際、トランプは批判報道を訴訟で制圧しようとし、公聴の場でライセンス剥奪を匂わせ、FCC(連邦通信委員会)を通じて放送免許を盾にメディアを抑え込む動きを見せている。彼は、自身にとって不利な報道に対して報復的な姿勢をとり、「憎悪発言(hate speech)」という曖昧な概念を用いて言論を抑制しようとする主張を支持してきた。また、アメリカの放送制度そのものに根本的な欠陥があると指摘し、電波使用権を国家機関が許認可制に置く現行モデルは、言論の自由と相容れないと論じる。最終的に、リッチマンは、トランプを問わず、自由言論を守るには、ラジオ・テレビの免許制度そのものを見直し、政府の検閲力を削ぐ構造的改革が不可欠であると結ぶ。
TGIF: Trump Fibbed about Favoring Free Speech | The Libertarian Institute [LINK]

レナード・リード(Leonard Edward Read)は20世紀の自由主義運動において、レッスフェール経済思想の普及において大きな影響を与えた人物である。彼は 1946 年に経済教育団体 FEE(Foundation for Economic Education)を設立し、自由市場・個人自律・非強制的協調の思想を広めるべく活動した。記事は、リードの代表作 “I, Pencil” を取り上げる。同作品は、1本の鉛筆がどれほど多くの人々と高度な分業・協調関係によって作られているかを示す寓話で、計画経済や中央統制の無能さを際立たせるモデルとされる。リードは、自由は単なる経済政策ではなく、個人の品性や道徳教育と不可分だと考えた。彼はロスバード、ミーゼス、ノックらの思想を融合させつつ、自由を広めるには暴力的な手段ではなく「教育」による説得が不可欠と主張した。FEE の夏季セミナーやパンフレット配布などを通じて、リードは若い世代に影響を与え、後進の自由主義者・学者に思想の根を張らせた。記事は、リードが「思想を通じて世界を変える」ビジョンを体現した「光を与える者(light giver)」として記憶されるべきだと結んでいる。
Leonard Read, Still Educating Today | The Libertarian Institute [LINK]

本稿は、いかに「立憲主義(constitutionalism)」が自由を守る枠組みとして機能しないかを論じる。著者ジョセフ・ソリス=ムレンは、古典的自由主義者たちは憲法や制度的拘束が権力を抑制できると信じていたが、この信仰こそが致命的な誤りであったと主張する。たとえ細かく制約を設けた憲法であっても、支配者はそれを解釈変更・例外設定・非常事態名目などによって形骸化させてきた。アメリカ合衆国を例に取れば、1787年憲法は制限政府を目指したものの、通商条項の拡張、関税・補助金、緊急時の人身保護令(habeas corpus)の停止などを通じて、政府権限が段階的に肥大化したと論じられている。この記事は、最終的に、自由を本当に守るためには、国家を縮小または除去し、強制的独占ではなく契約と自発協調による制度に基づく社会を志向すべきだと結論づけている。
The Failure of Constitutionalism | The Libertarian Institute [LINK]

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