歴史家、エフゲニー・ノーリン
(2022年5月9日)
5月9日(対ドイツ戦勝記念日)はロシア人にとって特別な祝日であり、私たちがこの日に大きな関心を寄せることは、他の国や文化の人々にとっては珍しいことだと思われることが多い。実のところ、ロシア人にとって「第二次世界大戦は昨日終わった」と言っても、真実から遠いものではない。
ロシア人にとって戦勝記念日は、死に対する勝利を祝うものだ。ほとんどの家庭で、先祖の戦争経験に関する物語がある。その多くは死者たちの物語だ。ソ連は戦争で2700万人以上を失った。1945年にベルリンが占領され、ヒトラーが自決するころには、ソ連はほとんど全員が誰かを失う国になっていた。
ナチスは極めて残虐な戦争を行った。破壊された集落の多くで、犠牲者の数は当時の住民の数と同じか、ほぼ一致していることが多い。住民を納屋に追い込み、火をつけた。砲撃や餓死、あるいは単に銃殺されることもあった。民間人に対する犯罪行為は、ヒトラーの特別命令により、説明責任が免除された。
戦時中、赤十字は何の保護にもならなかった。救急車や船はしばしば直撃弾で破壊された。年齢も関係なく、子供も大人と同じように殺された。
ロシアにとってあの戦争は、単に恐ろしいだけの物語ではない。普通の労働者と世界的に有名な作曲家がボランティアで消防団を結成し、モスクワの若い芸術家がドンバスの鉱山労働者やカザフの草原の村のアジア人徴用工と塹壕の中でパンを分かち合うことができた、国民統合の伝説でもある。
それは軍事的勝利の物語でもある。ナチスドイツの500万の強力な侵略軍はコーカサス山脈に達し、モスクワとレニングラードを脅かしたが、結局は敗北した。ロシアは大量の血を流したが、敵の軍隊は完全に破壊され、侵略を命じた独裁者は自殺した。我々は恐ろしい代償を払ったが、勝利は絶対であった。
ロシアでは、「第二次世界大戦」という言葉を耳にすることはほとんどない。当時作られた「大祖国戦争」という言葉が今も使われている。私たちにとって第二次大戦が普通の武力衝突を超えた、一種特別な出来事であることを強調したいのだ。ロシアににとって第二次大戦はまさに英雄的な叙事詩なのである。
戦争の記憶は、ロシアの生活のさまざまな側面に影響を及ぼしている。ロシア政府が西側国境の安全保障にこだわるのは、まさにあの大惨事の名残である。壁に背中を押されてギリギリまで後退しなければならなかったのだ。この記憶は、隣国との関係に深刻な影響を与え、消し去ることはほぼ不可能である。
あの激動の時代から私たちが学んだ最大のことは、どんな困難にも耐え、立ち向かうことができ、どんな試練の後でも国を立て直すことができるという、素朴な真実ではないだろうか。それは死の饗宴だけの記憶ではなく、生の勝利の記憶でもあるのだ。
(次より抄訳)
'Victory over death itself': Why the 9th of May is so important for Russians — RT Russia & Former Soviet Union [LINK]
(次より抄訳)
'Victory over death itself': Why the 9th of May is so important for Russians — RT Russia & Former Soviet Union [LINK]
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