2023-05-07

【コラム】権力に仕えるメディア

木村 貴

米政府の機密文書がインターネットに流出し、米連邦捜査局(FBI)は漏洩に関わった疑いで、ジャック・テシェイラ氏を逮捕・起訴した。数百件に上るとされる流出情報の中には現在進行中のウクライナ情勢に関するものが多く、大騒ぎになった。しかしメディアの報道ぶりが、何とも奇妙だ。
まずテシェイラ氏の逮捕に至る米大手メディアの報道が異様だった。FBIが同氏をマサチューセッツ州ノースダイトンの自宅で逮捕したのは4月13日午後。ガーランド司法長官は同日、空軍州兵に所属する21歳のテシェイラ氏を逮捕したと発表した。

しかし米大手メディアはそれ以前から、機密漏洩の「犯人探し」に血道を上げていた。ワシントン・ポスト紙は12日、漏洩の舞台となった交流サイト(SNS)「ディスコード」を通じてテシェイラ氏(仲間内では「OG」と呼ばれた)と知り合った未成年男性へのインタビュー動画を公開した。匿名だが、顔は簡単なモザイク処理を施しただけで、声は本人の要望を理由に加工していない。アップで映るノートパソコンのキーボードは一部が欠けた特徴あるものだ。ネットメディア、インターセプトのニキータ・マズロフ記者は「捜査当局の身元確認に役立つ証拠を進んで示しているようだ」と批判する。同記者がポスト紙に問い合わせたところ、広報担当者はインタビューについて保護者の同意を得たと繰り返したという。

ニューヨーク・タイムズ紙はさらに踏み込んで、13日の逮捕直前に流したオンライン記事で、流出文書の写真の背景が、ソーシャルメディアに家族写真として投稿されたテシェイラ氏の幼少期の家の内部と一致したことや、軍の記録などから、漏洩した疑いのある人物は州兵のテシェイラ氏だと特定した。

この記事には共同筆者の一人として、英調査報道機関ベリングキャットの調査員の名前がある。ベリングキャットは、欧米や日本の主流メディアでは公正中立な団体であるかのように扱われるが、実際は第二の米中央情報局(CIA)と呼ばれる全米民主主義基金(NED)から助成金を得るなど、政府の影の濃い組織だ。そのベリングキャットと天下のニューヨーク・タイムズが一体となって、家族写真まで引っ張り出し、機密漏洩の「犯人探し」に躍起になるとは、ジャーナリズムのあり方として疑問を感じざるをえない。

ジャーナリズムの基本からすれば、元英外交官でジャーナリストのクレイグ・マレー氏が指摘するように、テシェイラ氏の名前が浮上した時点で本人に接触し、漏洩の動機を説明するよう求め、同氏がアクセスした他の機密資料に目を通し、その意味について同氏の見解を聞き、公共の利益になるものについて報じるべきだろう。ところがニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストは、それをしていない。

両紙を含む主流メディアは、漏洩文書が明らかにしたウクライナ情勢などに関する情報を一部報じてはいる。しかしそれよりも、情報漏洩をとんでもない不祥事とみなし、その「犯人」を糾弾し、政府に「再発防止」を求める姿勢が勝っているように見える。

それをあからさまに示すのが、テシェイラ氏逮捕を受け、4月13日に米国防総省で行われた記者会見の様子だ。主流メディアの記者たちは口々に、「国防総省は機密情報にアクセスできる人数を減らすために、どのような措置を取ってきたか」「厳しい手続きを定めていたにもかかわらず、21歳の空軍州兵が国家の最高機密の一部にアクセスできたのはどういうわけか」「この州兵の軍歴を公表する予定は」「ディスコードなどのチャットルームやSNSを現在監視しているか」などと問いただしたが、いずれも事実上、テシェイラ氏の行為を非難し、国防総省に対し機密情報の管理強化を求めるものだ。

独立系ジャーナリストのマイケル・トレーシー氏はこれら記者の質問をツイッターで紹介し、「どの記者も求めている答えは、報道する価値のある情報を国民から隠蔽する能力を、政府が改善する方法ばかりだ」と批判する。

ジャーナリズムの本来の役割は、政府が隠そうとする情報を暴き、国民の目に触れさせることのはずだ。ところが国防総省の会見に出席した主流メディアの記者たちは、トレーシー氏が批判するとおり、本来の役割とは逆に、むしろ政府に対し情報を隠す能力を「改善」するよう求めている。批判対象であるはずの政府と一体化し癒着した、ジャーナリズムの堕落でしかないだろう。
その点、日本の主流メディアも変わらない。それどころか、輪をかけてひどい。大手新聞各社は今回の問題について相次いで社説を掲載したが、「米機密漏洩に早急な改善策を」(日本経済新聞)、「ずさんな管理に世界が揺れた」(読売新聞)といったタイトルを見るだけで、中身は想像がつくだろう。

たとえば日経は「機密を扱う職員の適性評価やSNSの利用を含む身辺チェックの強化は不可欠だ。従来の情報管理体制のどこに問題があるのか、検証を急ぐべきだ」と主張する。職員の適性評価や身辺チェックを強化し、SNSの利用まで制限・監視されたら、優秀な人材は集まらなくなるかもしれない。

また日経は「とりわけ深刻なのはウクライナを巡る機密漏洩だ」としたうえで、「ウクライナの防空システムの弾薬が不足し、5月に機能不全に陥る見通しを記す資料が含まれる」と述べる。これは米政府がそれまで国民に向けて説明してきた、ウクライナはロシアとの戦争に勝てるという見通しがきわめて怪しいものだったことを意味する。米政府には都合が悪くても、米国民や同じくウクライナを支援する日本の国民にとっては貴重な情報である。もし日経がこの情報を自社の特ダネとして報じていたら、決して「深刻」な「機密漏洩」などとは言わないはずだ。

今回の漏洩で明らかになったもう一つの重要な情報は、米国がウクライナ、韓国、イスラエルといった同盟国の指導者をスパイしていた疑惑が浮上したことだ。対象とされた国の政府は表立って米国を非難してはいないものの、内心不信を募らせたのは間違いない。

これに対する日本メディアの反応がまた的外れだ。社説で「同盟国の不信食い止めよ」(産経新聞)、「戦時の連帯損なう失態だ」(毎日新聞)、「結束に水を差す失態」(東京新聞)と3紙までがタイトルで「同盟国の不信」を心配し、「連帯」「結束」を損なうと気をもんでいる。米国によるスパイ活動は当然、同じ同盟国である日本も対象になっている可能性があり、外交上や市民のプライバシー上の問題になりうる。ところが大手紙はその本質を衝くのではなく、「結束」の乱れを心配するだけだ。しかも右派の産経はともかく、左派といわれる毎日までが「戦時の連帯」という、まるで太平洋戦争中のような言葉を絶叫するのだから、背筋が寒くなる。

毎日の社説は「同盟国へのスパイ活動は10年前にも表面化し、批判を浴びた米国は同盟国を監視対象にしないとする方針を打ち出した。それがほごにされているなら背信行為だ」と正しく述べている。もし本心からそう思うのなら、「戦時の連帯」などは後回しにして、米政府に真相をただすよう、日本政府に求めるべきだろう。外交上の信義を踏みにじられて、「連帯」もくそもない。

政府に対し情報管理の「改善」を求める態度は、メディア自身に限らない。メディアに登場する専門家も同様だ。たとえば日経の「バイデン氏、機密共有制限を指示」(4月15日)という記事に対するコメントで、国際政治が専門の植木安弘上智大学教授は「特に現在進行形の軍事外交機密の漏洩は、国家の信頼を損ない、軍事政策や行動の変更を余儀なくさせるため、より綿密な情報共有の精査が必要となる」と述べる。たとえ専門外でも、情報管理の強化が国民の「知る権利」を脅かすという問題意識がほしい。
だがそれよりも問題なのは、テシェイラ氏に対する人格攻撃だ。作家で元外務省主任分析官の佐藤優氏が4月22日の琉球新報に「米機密文書漏えい事件 原因は空軍州兵のエゴ」というタイトルの寄稿をしている。そこで佐藤氏は「今回のテシェイラ容疑者の動機は典型的なエゴに基づくものだ」と断じ、こう書く。

「俺(私)はこんな秘密を知っている」ということを披露して、周囲から「すごい」と思われたいという動機だ。

この佐藤氏の主張はおそらく、「彼(テシェイラ氏)は機密情報を私たちと共有し、見せびらかしたかったんだろう」と友人が語ったというワシントン・ポストなどの報道に基づくのだろう。だがかりにテシェイラ氏の動機が子供じみた「エゴ」だったとしても、政府の隠す貴重な情報を知ることのできた一般市民にとっては、何の不都合もない。むしろエゴ万々歳である。

テシェイラ氏が高校在学中に「火炎瓶、学校での銃、人種的な脅し」に関する問題発言で停学処分を受けたとか、州兵として入隊後に公用パソコンで過去の銃乱射による殺人事件について検索していたとか、SNSでかりに自分の思い通りになるなら「精神の弱い人を淘汰する」ために「大量の人を殺す」と発信したとかいう検察側の主張に基づく報道も、たとえそれらが事実であったとしても、同氏の行った機密情報の暴露が悪だということにはならない。そもそもこれらの発言や発信は暴力行為そのものではないし、米政府が扇動し支援するウクライナ戦争という正真正銘の暴力よりも悪質だとは思えない。

それにしても日ごろ、米軍基地の暴力を厳しく批判する琉球新報に、寄稿とはいえ、米政府の戦争支援に警鐘を鳴らした内部告発者をエゴイストとして不信感を抱かせる文章が載るとは、情けない。

『暴露:スノーデンが私に託したファイル』を著したジャーナリスト、グレン・グリーンウォルド氏が指摘するように、ダニエル・エルズバーグ、チェルシー・マニング、ジュリアン・アサンジ、エドワード・スノーデン各氏をはじめ、政府が隠す事実を暴いた内部告発者やその協力者は必ずといっていいほど、メディアによるいわれのない人格攻撃にさらされてきた。そればかりか政府から罪に問われ、国外逃亡監獄生活を強いられている。
日本でも1970年代前半、毎日新聞記者だった西山太吉氏が沖縄返還を巡る日米間の「密約」を報道したが、外務省の女性事務官から極秘文書を入手していたため、秘密漏洩をそそのかしたとして、国家公務員法違反容疑で逮捕・起訴された(西山事件)。また検察が起訴状で「(女性事務官と)ひそかに情を通じ、これを利用して」と書いたことから、世論の関心は男女関係のスキャンダルに集まり、毎日新聞は倫理的非難を浴びた。西山氏は退社する。その後、米公文書などで密約の存在が明らかになった。

今年2月、西山氏が91歳で亡くなった際、朝日新聞は社説で取り上げ、こう書いた。

密約を暴いた西山さんの取材手法には問題があり、文書の写しを野党議員の国会質問のために渡したことで「情報源の秘匿」を守れなかった事実も重い。だからといって、政府のうそが見過ごされていいわけではない。粘り強い取材で真相に迫り、市民の「知る権利」に応える。メディアの責任の重さを改めてかみしめたい。

そのとおりだ。「政府のうそ」が見過ごされていいはずはない。メディアは市民の「知る権利」に応える責任がある。そうだとすれば、「政府のうそ」を暴いた内部告発者をメディアが悪者扱いするのは筋が通らない。むしろ協力し合うべきだろう。10年前、エドワード・スノーデン氏が米政府による国民監視の実態を内部告発した際、それを報じたのはワシントン・ポストや英紙ガーディアンなど大手メディアだった。今回のテシェイラ氏に対するワシントン・ポストやニューヨーク・タイムズの岡っ引のような行動とは雲泥の差だ。

「ジャーナリストは真実を明らかにすることを国民から託されているのであって、真実の情報源を求めて魔女狩りをする権力者に仕えてはならない」。独立系ジャーナリスト、エリザベス・ボス氏はこう書く。内部告発者とも協力し国民の「知る権利」に応えるのか、それとも権力と結託して情報隠蔽に加担するのか。メディアの態度が問われる。

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