朝日新聞デジタルは2023年5月10日から4日間にわたり、「アナザーワールド プーチン帝国の虚像」と題する
連載記事を公開した。読んで驚いた。最近の報道ぶりや連載の陳腐なタイトルから予想できたとはいえ、天下の朝日がここまで堕落するとは思わなかったからだ。
連載の趣旨にはこうある。
ウクライナへの侵攻を続けるロシア。1年以上経ったが、反戦運動は影を潜め、いまもプーチン大統領は高い支持率を維持している。その大きな要因がメディアと一体で拡散されている政権のプロパガンダだ。多くのロシア人が見る世界は、日本での認識と大きく異なる。ロシアの人たちが住むのはまるで「アナザーワールド」(もう一つの世界)となっている。
ロシア政府はメディアと一体化してウクライナ戦争に関するプロパガンダを拡散し、国民に現実とは異なる世界を信じ込ませているという。そう断言するのなら、さぞ理路整然とロシアの嘘を暴いているに違いない。そう信じて読み始めた読者は、みごとに裏切られる。具体的に見ていこう。
第1回の記事は、プーチン政権がウクライナ政府を「ネオナチ」と呼び、今回の戦争を第2次世界大戦でナチス・ドイツを破った「大祖国戦争」になぞらえるのは、「外国からは荒唐無稽にも聞こえる政権のプロパガンダ」だと断言する。ところがそう断じる根拠は、驚くことに、この記事を最後まで読んでも見当たらない。
そしておかしなことに、ロシア人はプロパガンダに洗脳されているという趣旨とは矛盾するエピソードが紹介される。モスクワの「大祖国戦争中央博物館」を夫と訪ねた65歳の女性は、ウクライナ軍が自国民を殺害し、ロシアの仕業に見せかけていると訴えるが、この女性は「テレビでなく、息子から現地の話を聞いている」という。それならメディアのプロパガンダを批判する記事の立場からすれば、むしろ信憑性の高い情報だろう。
ついでにいうと、
第3回では今年1月、ウクライナ中部ドニプロの集合住宅が攻撃され、46人が死亡した悲劇に触れ、攻撃はウクライナの主張どおり、ロシア軍によるものだと断定している。しかし記事では触れていないが、この事件は直後に、ウクライナのアレストビッチ大統領府長官顧問がユーチューブ番組で、ウクライナ軍の防空システムによって迎撃されたミサイルが住宅に落下したとの見解を語り、国内で批判を浴び
解任される騒ぎがあった。もし見解が真実なら、過失にしろ自国民の殺害を「ロシアの仕業に見せかけ」た一例ということになる。
話を戻して、ウクライナ政府はネオナチだというプーチン政権の主張に対する反論らしきものは、最後の
第4回になってようやく出てくる。ロシア人にとっては、「ウクライナ」と「ナチス」が結びつきやすい歴史的な背景もあるとして、記事は次のように説明する。
第2次世界大戦中、ウクライナ西部では、独立運動家ステパン・バンデラらがナチス・ドイツ軍と協力してソ連軍と戦った。「バンデラ主義者が子どもたちを虐殺した」とされる写真は、いまも多くのロシア人がすぐに思い浮かべる。/2014年からのウクライナ東部紛争では、極右組織の戦闘員がウクライナ政府軍に入ってロシア側と戦ったのは事実だ。だが、その後の選挙で民族主義系の政党はほとんど議席を獲得しておらず、社会的な影響が大きくなったとは言えない。/ところが、ロシアのテレビは、暗闇の中、たいまつを掲げて大勢の民族主義者が行進する映像などを繰り返し流す。そうやって、まるでウクライナが「ネオナチ」に支配された国というイメージを国民の中につくってきた。
順に検討しよう。朝日はまず、ステパン・バンデラをナチス・ドイツ軍と協力しただけの普通の「独立運動家」であるかのように表現し、バンデラ主義者による虐殺も「とされる写真」という言葉で逃げ、確たる事実として書いていない。これはきわめて問題だ。
バンデラ(1909〜59年)はウクライナ民族主義者組織(OUN)の指導者で、ユダヤ人、ロシア人、ポーランド人のいない人種的に純粋なウクライナを目指した。第2次世界大戦中、OUNは主にウクライナのボリン地方で少なくとも
10万人のポーランド人を虐殺する。農民の蜂起に見せかける狙いもあり、斧、鎌、ナイフ、ハンマー、鉄棒、投石器などで殺害し、何百人もの犠牲者を家屋や納屋に押し込んで生きたまま焼いたという。
今年1月1日、ウクライナ議会の公式ツイッターは、バンデラの生誕114年を祝う投稿を行い、批判を浴びて削除した。ポーランドのモラウィエツキ首相は翌2日、メディアに対し「ナチスの協力者バンデラを美化し続けるようなニュアンスはありえない」と述べ、バンデラの民族主義者は「恐ろしい犯罪」を犯したと付け加えた。今回の戦争でウクライナを強く支援するポーランドですら、許せないことなのだ。
イスラエル紙ハーレツも同日、ウクライナ当局が反ユダヤ主義的なナチス協力者を祝ったことを非難した。朝日は、
ポーランドやイスラエルはロシアのプロパガンダに惑わされ、バンデラやその一派を危険視しすぎるとでもいうのだろうか。
次に朝日は、ウクライナの民族主義系の政党は選挙でほとんど議席を獲得しておらず、社会的な影響が大きくなったとは言えないという。しかし議席数が少ないからといって、社会での影響力が小さいとはいえない。ヒトラーのナチスも議席の少ないうちから、ドイツ社会に影響力を広げていった。しかもウクライナのゼレンスキー政権は昨年3月、最大野党の生活党を含む11野党の
活動を禁止し、ただしスボボダ(自由)や右派セクターなどネオナチ系の政党は対象外とされた。
ゼレンスキー大統領はユダヤ系だから、ウクライナがナチス思想に染まるはずはないという意見を目にする。だが大統領自身の行動はその期待を裏切っている。
ゼレンスキー大統領は昨年8月、ギリシャ議会に向けてオンラインで演説した際、ネオナチと関係のある民兵組織アゾフ連隊(元アゾフ大隊)の戦闘員を映像に登場させ、批判された。最大野党、急進左派連合(SYRIZA)のチプラス党首(前首相)は「これは歴史的な恥辱だ。ウクライナの人々との連帯は当然のことだ。しかし、ナチスが議会で発言する権利を持つことはできない」と述べた。
今年2月には、活躍した戦闘部隊に「エーデルワイス」という名前を
付与した。この名は、第2次世界大戦中に多くの戦争犯罪に関与した悪名高いナチスドイツ国防軍の師団と同じものだ。
さらに今月、ローマ教皇フランシスコと面会した際、着用したスエットシャツには、前出のナチス協力者バンデラ率いる虐殺集団OUNが用いた三つ叉の槍の紋章が
付いていた。なおゼレンスキー政権下では、バンデラの復権が急速に進んでいる。全土でバンデラの名誉のために50以上の記念碑や像が
建てられ、500の通りがバンデラの名を冠しているという。
朝日はこうした事実を前にしても、ウクライナ社会でネオナチの影響は大きくないというのだろうか。
そして朝日は、ロシアのテレビは「暗闇の中、たいまつを掲げて大勢の民族主義者が行進する映像などを繰り返し流す」ことで、ウクライナがネオナチに支配された国という「イメージ」を国民の中につくってきたと書く。この言い草には心底あきれる。たいまつ行列は、ロシアのメディアだけが伝えてきたわけではない。欧米メディアも報じていた(たとえば
ロイター通信、英紙
ガーディアン、米誌
タイムなど)。
たいまつ行列だけではない。欧米メディアは少し前まで、白昼堂々、鉤十字などナチスのトレードマークやそれに酷似したマークを旗や衣服に付けた、見るからに物騒なお兄さんたちの写真とともに、ウクライナでネオナチがはびこっていると警告していた。それがロシアの「侵攻」が始まった昨年2月以降、ふっつりと消えた。ロシアを悪玉、ウクライナを善玉に仕立てる政治的な図式に都合が悪いからだとしか考えられない。
朝日のこの連載記事で、ネオナチの件以上に問題なのは、ウクライナのロシア系住民に関する記述だ。第4回にこうある。
プーチン政権は、ウクライナ東部紛争が始まった2014年から、ウクライナ政府が東部ドンバス地方のロシア系住民を攻撃し、「集団殺害」の危険があると主張してきた。ロシアメディアは検証もせずに、こういった主張を伝え続けた。/実際には、この地域の大半の住民はロシア語が母語で、戦闘に巻き込まれて死亡する人はいても、集団殺害の事実が国際的に確認されたわけではない。/特にテレビが主な情報源となっている高齢者らへの影響は大きい。ウクライナ東部紛争が始まった14年以降の8年間、ロシア系住民が攻撃から逃れて地下室で震えてきた、と多くの人が信じている。
一言でいえば、ロシア系住民に「戦闘に巻き込まれて死亡する人」はいても、集団殺害の標的になっているわけではないという。どこかで聞いたことのある言い回しだ。そう、米軍の対テロ戦争で、民間人の死者を「コラテラル・ダメージ」(巻き添え被害)と呼ぶ、あの便利な表現である。
そもそも本当に「巻き込まれ」ただけなのか、大いに疑問だ。朝日自身が紹介した、「ウクライナ軍は自国民を殺害し、ロシアの仕業に見せかけている」というロシア市民の指摘に照らしてもそうだし、ジャーナリストの証言もある。たとえば現地で取材を続ける英ジャーナリスト、ジョニー・ミラー氏は「ウクライナ政府は8年間にわたりドンバスで自国民を殺害し続けている。このことが欧米メディアで取り上げられず、過去8年間も報道されていなかったのは驚くべきことだ」と
述べる。
ドンバス地方での民間人被害について調査してきたロシアの委員会は今月10日、2014年以降、ドンバスでウクライナ軍が5000人以上を殺害したとの調査結果を
公表した。犠牲者には138人の未成年者が含まれる。また444人の子供を含む9500人以上の市民がウクライナの砲撃で負傷したという。事実だとすれば、果たして単なる「巻き添え被害」で生じうる人数だろうか。
巻き添えだろうと標的だろうと、ロシア系住民が2014年からの8年間、ウクライナ政府の攻撃におびえてきた事実に変わりはない。「地下室で震えてきた」という住民らの証言は決して誇張ではないだろう。ところが朝日は、現地で取材したわけでもないのに、そんなものはテレビに洗脳されたロシアの高齢者の妄想でしかないと、「検証もせずに」決めつける。
この連載のどこにも、真実をとことん追求する気概は感じられない。政府公認の図式に都合のいい伝聞や憶測の断片を寄せ集め、切り貼りしたようにしか見えない。日本人にしか通用しない「アナザーワールド」の制作である。朝日以外の国内大手メディアも、その姿勢はまったく変わらない。プロパガンダに毒されているのは、ここ日本社会なのだ。
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