経済アナリスト、リプトン・マシューズ
(2023年5月8日)
戦後、韓国と台湾が経済的に成功したのは、日本による植民地支配の遺産があったからだと、主流派の歴史家たちは考えている。日本は新技術、重要なインフラ、効率的な政府を提供し、韓国・台湾の産業発展を可能にしたとされる。台湾と韓国は日本の技術をうまく取り入れたことで恩恵を受け、帝国の支配下で産業成長を記録したという。
Was Japanese Colonialism the Engine of Later Prosperity for Korea and Taiwan? Probably Not https://t.co/7V7bQAPmKO
— Irie Tea Party (@IrieTEA) May 8, 2023
さらに1913年から38年にかけて、台湾と韓国は一人当たり国内総生産(GDP)の急速な成長と、それに伴う幅広い社会変革を経験した。学者たちは、旧植民地における日本の国家建設プロジェクトは開発型国家の特徴を備えていると表現している。西洋の植民地主義とは異なり、日本の統治がもたらした遺産は、進歩的で肯定的なものとして熱心に描かれる。たしかに日本による植民地支配は、台湾や韓国にとって好ましい結果を一部もたらしたが、文献を見直すと、こうした立派な効果は誇張されていることがわかる。
人体計測データから始めよう。研究によれば、台湾の華人の平均身長は植民地時代には伸びたとされるが、1930年代には身長や他の福祉指標が停滞しており、このパターンは持続しなかった。また韓国の植民地時代を振り返ると、1920年代から1930年代にかけて、一人当たりのカロリー摂取量は継続的に増加せず、非熟練者の実質賃金などの指標も低下していることがわかる。日本の統治をよく観察してみると、その成果は非常にはかないものであることがわかる。
日本人は、日本の専門知識と資本に支えられ、植民地に起業家階級を育てたとさえ称賛されている。しかし歴史的な記録は、それとは異なる絵を描いている。インフラ事業は土着資本の成長を助けたが、日本企業は、競争するには小さすぎる、あるいは政府官僚とつながりのない地元企業を犠牲にして、特別な特権を得た。日本の経済政策は、台湾や韓国の一部の地元企業に恩恵を与えたが、その大部分は軍事的・地政学的な目的であった。
さらに、経済学者のアン・ブースは、台湾と韓国の産業成長は、アジアの他の地域と比較してそれほど急速ではなかったと指摘している。ブース氏の指摘によれば、台湾ではフィリピン、インドネシア、英領マラヤと同様、1930年代までは工業化の大部分が農産物加工に依存していた。一方、韓国の成長は目覚ましかったが、最初は低調だった。インドネシアと同様、韓国も1930年代に外国資本が流入し、製造業の発展に拍車がかかった。1940年には、両地域のGDPに占める製造業の割合は同じになった。しかし労働力人口に占める割合は、インドネシアのほうが高かった。
日本の植民地の特徴は進歩的な政府だったというアトゥル・コーリー氏の主張に対し、ブース氏は、20世紀最初の10年間には、東南アジアのすべての植民地国が財政制度の近代化を重視した効率的な行政機構を構築していたと指摘している。そのため韓国では1910年以降、国民1人当たりの歳入が急速に増加した。しかし1929年には、韓国の1人当たり歳入はフィリピンやビルマと同程度になった。
ブース氏によれば、台湾と韓国は1930年代後半、東南アジアの多くの地域と比較して、道路や鉄道の面で優れた資産を持っていた。しかしどちらもジャワ島よりも交通の便は良くなかった。同様に、英領マラヤは交通インフラと電力容量が比較的優れていた。韓国と台湾は灌漑に大きな利点があった。東南アジアのどこも同じように広範な灌漑網を誇っていなかったからだ。しかしインドネシアやベトナムでも灌漑は優先された。人口統計学的に見ても、日本の植民地はアジアの非日本植民地と似ており、台湾の乳児死亡率は英領マラヤより少し低い程度であった。
教育面では、1930年代末の総人口に対する教育就学者数の比率で、台湾は東アジア・東南アジアのほとんどの地域をリードしていた。興味深いことに、英領マラヤでは、この比率は韓国を上回っていたが、学生の数はマレー系ではなく、中国系やインド系に偏っていた。フィリピンは中等教育機関への就学ではトップで、1940年代初頭までに4万人以上の学生が高等教育に就学していた。
台湾と韓国には学校が建設されたが、教育はエリート主義であり、ほぼすべての台湾人が高等教育やホワイトカラーの仕事に就くことを拒否された。日本は韓国の初等教育に投資したものの、敵対的な文化政策をとり、韓国語の使用を制限し、韓国固有の教育制度を崩壊させた。1944年には韓国で学校教育を受けた人は14%未満、初等教育以上の教育を受けた人は2%となった。
厳密な分析によると、日本の植民地支配の成果は、他の列強と比較すると、きわめて淡白なものに見える。アン・ブース氏は、米国は自治を奨励し、最終的にフィリピンを独立させたことを考えると、真の「最先端」だったとコメントしている。米国はまた、フランス、英国、オランダ、日本よりも中等・高等教育を重視した。この政策は成功し、1930年代には、フィリピン人は公務員のほとんどすべてのポストに就き、多くの人が民間企業やさまざまな職業で影響力を持つようになった。米国は自由主義的であったのに対し、オランダや英国は先住民が有能な市民や企業家になることに疑問を抱いていた。
さらに、日本はインフラの先駆者だと思われているが、アン・ブース氏とケント・ダン氏によれば、この点で日本の植民地主義は、ライバルより優れているというよりも、むしろ同等だった。どの植民地でも、植民地技術者は鉄道、道路、灌漑事業などの建設に、都市住民の専門知識を活用した。たとえば、オランダのジャワ島での成果は、日本の台湾での成果と似ている。オランダはジャワ島に大規模な灌漑網を建設し、それは現在も残っている。
韓国や台湾の発展は植民地独立後の政策によるものであり、韓国は日本の植民地支配がなければ、植民地支配前の教育機関の遺産によって発展していたとする説もある。日本の植民地主義は先進的であるように見えるかもしれないが、日本以外の植民地主義と比較すると、むしろ平凡であったことを示す証拠がある。したがって韓国と台湾が遂げた目覚ましい発展は、植民地時代の後に加速した経済政策、起業家精神、人的資本への投資によるものだと推論することができる。
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