昔、歯に衣着せぬ物言いで知られた政治家の故・秦野章氏が「政治家に古典道徳の正直や清潔などという徳目を求めるのは、八百屋で魚をくれと言うのに等しい」と発言し、物議を醸したことがあった。この発言は、一面の真理を含んではいる。けれども、政治家に道徳や倫理は、本当に必要ないのだろうか。
このことを考えるために、ニコロ・マキャベリの思想をたどってみよう。『君主論』で有名なイタリア・ルネサンス時代の政治思想家マキャベリは、政治は道徳から切り離して考えるべきだとする現実主義的な政治理論を打ち立てたことで知られる。
都市国家フィレンツェは15世紀末、それまで実質的支配者だったメディチ家を追放し、名実ともに共和政に復帰したが、マキャベリはこの共和政の第2書記局の長となった。軍事・外交の担当者として活躍するが、メディチ家の復権により、その職を失った。
マキャベリは反メディチ派の烙印を押され、一時は陰謀の疑いで投獄され、やがて郊外に隠棲せざるをえなくなった。彼は再度活躍の場を求めてメディチ家への接近を図る。『君主論』はこの隠遁生活中、一気に書き上げられ、フィレンツェを統治するロレンツォ・デ・メディチに献呈されている。つまりメディチ家に自らを売り込むための、「就職論文」だった。もっとも、この作品のためにメディチ家から恩恵を与えられることはなかった(鹿子生浩輝『マキァヴェッリ』)。
『君主論』はマキャベリの死後、1532年に刊行された。その後、16〜18世紀を通じ、欧州中で悪評にさらされた。キリスト教道徳が支配的だった西洋史上例を見ない、意識的に悪を説き、政治の世界に悪を解き放った悪魔的な人物だと考えられたからだ。英語で悪魔を「オールド・ニック」と呼ぶが、これはマキャベリの名「ニコロ」から来たと言われる。
ところが近代になると、マキャベリは悪の伝道師として毛嫌いされるのではなく、政治学の元祖として称えられるようになった。その見方によれば、マキャベリは時代遅れの道徳主義を捨て、権力を冷静に見ていた。タフな現実主義者であり、実証的で価値中立を旨とする現代政治学の先駆者だとされる。
君主や支配者はいかに振る舞うべきか。この問題は、欧州で古代から論じられてきたテーマだ。それは「君主の鑑」論と呼ばれる。多くの伝統的な論者の主張によれば、君主は、けちであるよりも気前良くなければならない、恐れられるよりも愛されねばならない、残酷であるよりも慈悲深くなければならない、信義に反してはならない。要するに、君主は徳を具えていなければならない。伝統的な議論は、原則として君主に善行を勧めるものだと言える。
これに対しマキャベリは、伝統的な「君主の鑑」論の形式を強く意識して『君主論』を執筆したが、内容は伝統的な主張を覆した。たとえば、君主は、信義、つまり約束を破っても構わない。君主は、ライオンと狐という野獣の性質を具えねばならず、ライオンのように力を持つとともに、狐のように策略を用いなければならない。また、君主は、良い性質を持っている必要はないが、それらを持っているように見せかけることが肝要だという。いわば「偽善の勧め」である。
さらにマキャベリは「現代の経験の教えるところでは、信義などほとんど気にかけず、奸策をめぐらして、人々の頭を混乱させた君主のほうが、むしろ大きな事業(戦争)をやりとげている。しかも、けっきょくは彼らのほうが、信義に基づく君主を圧倒していることが分かる」と強調する。そして「約束の不履行について、もっともらしく言いつくろう口実など、その気になれば君主はいつでも探せる」(池田廉訳)とまで言い切る。
伝統的な倫理にとらわれないマキャベリの冷徹な主張に、ある種の爽快さを感じるのは事実だ。『君主論』が今なお多くの読者を惹きつける理由の一つもそこにある。しかし、あくまでも権力者・支配層のために書かれた著作であることを忘れてはならない。
マキャベリの目には、一般市民は権力者に支配される対象でしかない。だから市民が権力の掌握を妨げる場合には、驚くほど残酷な提言を平然と行う。『君主論』に次ぐ有名な著作『ディスコルシ』では、「人びとが個人として、あるいは都市全体が一丸となって国家に対して反逆的な挙に出る場合、君主は他の者への見せしめのために、あるいは自分自身の安全のためには、これらの連中を抹殺するより他に方法がない」(永井三明訳)と述べている。
権力者の都合で市民を抹殺するのは、どう考えても間違っている。その歯止めには、やはり最低限の倫理が必要だろう。たとえば、「汝殺すなかれ」というキリスト教倫理である。その戒めを捨て去ったマキャベリが悪魔と呼ばれたのは、あながち的外れではない。
米思想史家マレー・ロスバード氏はマキャベリについて「絶対国家の無制限な権力を擁護する哲学者として、まさに卓越した存在だった」と評する。ユニークな思想家であることは確かだが、その魅力は同時に毒でもある。著作は距離を置いて楽しむのが賢明と言えそうだ。

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