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2026-01-19

グロティウス、国際法の父

長年にわたり、君主や国家は宗教拡張、領土獲得、資産略奪などを目的として戦争を行ってきた。たとえば16世紀イタリアの政治思想家マキャベリは、戦争を「完全に正当な国家政策」とみなした。しかし、フーゴー・グロティウスはこれに異を唱え、戦争を避けられない場合でもその破壊と殺傷を制限すべきだと強く主張した。「他人を無意味に傷つけることは愚かであり、愚かさを超えた行為である」とし、「戦争は最も重大な事柄である。無辜の人々にも多くの災厄をもたらすからだ」と述べている。


グロティウスは17世紀オランダの法学者・哲学者で、近代国際法の父とされる。また、平和と理性を法の中心に据え、戦争に対して強く反対した思想家でもあった。戦争が避けられない状況においても、自然法と理性に基づき、戦争の破壊性を抑える必要性を唱えた。

自然法とは、人間が制定する実定法に対して、自然のうちに存在する法である。実定法が特定の時代や社会でしか通用しない相対的なものであるのに対して、自然法はあらゆる時代や地域で通用する絶対的なものである。自然法思想は、古代のストア派や中世のスコラ哲学のうちにみられるが、近代では、自然法は、神の永遠の法に基づくものではなく、人間の自然な本性である理性が見出すものとされた。そのように説いた代表的な論者がグロティウスであり、そのため近代自然法の父とも呼ばれる。

グロティウスの主著『戦争と平和の法』(1625年刊)は、戦争の正当性と進行に対する自然法に基づく法的枠組みを構築し、近代国際法の礎となった。この著作は、格調高いルイ13世への献辞に始まり、プロレゴメナ(序論)の後、全3巻からなる本文という構成になっている。

その第1巻は、法の起源についての序論を述べた後、正当戦争なるものが存在するかという一般的問題を論述する。第2巻では、戦争の生じうるあらゆる事由(自衛、被害回復、処罰)を説明し、第3巻では、戦争中の行動規範(非戦闘員保護、比例原則など)を定め、正義の有無にかかわらず戦争に法的制約を課すべきだと説いた。

さらに、グロティウスの自然法の枠組みは、理性や慣習だけでなく、神学的・実用的要素も含んでおり、宗教や文化の違いを超えて国際社会に受け入れられる普遍性を持たせていた。

この著作の中の有名な言葉に、「我々が今述べていることは、神は存在しないとか、神は人事を顧慮しないといった、最大の冒瀆を犯さずには認め得ないことをあえて容認したとしても、ある程度まで妥当するであろう」(柳原正治『グロティウス』より引用)という序論の一節がある。これは、自然法の原則が神への依存を超えて、理性のみから導かれ得るという考えを示した点で、画期的だった。グロティウスは自然法を神の創造した秩序の一部と考え、十戒など聖書の道徳はこの自然法の理解に役立つとみなした。自然法と啓示は矛盾せず、宗教的伝統と理性に基づく法は両立できるという立場を取った。

グロティウスの自然法思想は、ドイツのプーフェンドルフ、イギリスのジョン・ロックら17~18世紀の哲学的・政治的議論に大きな影響を与え、イギリスの名誉革命やアメリカ独立戦争の思想的背景にもなった。のちには、ジュネーブ協定、国連憲章など現代国際法の精神的土壌となった。

グロティウスの62年間の生涯は、オランダでいう八十年戦争(1568〜1648年)の期間にすっぽり包まれている。この戦争はネーデルラント(現在のオランダ、ベルギー、ルクセンブルク)がスペインに対して起こした独立戦争で、スペインの支配からの解放と、北部7州によるオランダの建国、ウェストファリア条約での国際的な独立承認につながった。

オランダは独立戦争の休戦が成立した17世紀前半、経済が繁栄する黄金時代を迎えた。独立戦争中、スペイン軍に封鎖された南部のアントウェルペンの市場は壊滅し、代わって、独立した北部のアムステルダムに南部から多数の商工業者が亡命した結果、経済活動が劇的に活発化した。造船の技術に長けたオランダ人は、バルト海貿易でも優位だったほか、アジアにも早くから進出した。1602年にはそれまでの多くの会社を統合してオランダ東インド会社をつくり、ジャワのバタビアに拠点を置いた。当時有力な金・銀の産地だった日本で、イギリスが撤退し、スペイン、ポルトガルがキリスト教布教の問題で排除されると、日本との貿易を独占したのは周知の通りだ。

米シンクタンク、ミーゼス研究所で公開する論文によれば、グロティウスの思想は商業活動の自由化、金融制度の安定化、国際平和の確立に寄与し、結果として資本蓄積と産業高度化を促した。グロティウスは単なる法理論家にとどまらず、その自然法思想や自由貿易の擁護、平和構想によって、オランダ黄金時代の経済的繁栄を直接・間接に支えた。米思想家マレー・ロスバードは「グロティウスの影響で、財産権の考えが経済領域にまで拡大されるようになった」と指摘する。

グロティウスは波乱の人生を送った。1583年、オランダ・デルフトの名門に生まれた。若い頃から神童として知られ、11歳でライデン大学に入り14歳で卒業。1598年15歳でオランダ使節団の随員としてフランスのアンリ4世の宮廷を訪問し、王から「オランダの奇跡」とその才を嘆賞された。同年12月、16歳で弁護士を開業。オランダ東インド会社がポルトガル船を捕獲するという事件が起こり、会社の委嘱によりオランダ側の立場を擁護する著作を執筆した。これが国際法に興味をもった機縁といわれる。

1607年以後、政治・外交の実際に参画するが、やがて神学論争をめぐる政治闘争に巻き込まれる。宗教的寛容を説き、両派の和解に努めたが、その努力は成功しなかった。18年に逮捕され、翌年国家転覆の陰謀を理由に終身禁固・財産没収の刑を宣告され、古城に幽閉された。3年後、妻や使用人の助けにより、書物を運ぶ箱に身をひそめて劇的な脱走に成功する。フランスに亡命してフランス王の保護を受け約10年間フランスに滞在し、その間に『戦争と平和の法』を完成させた。

1631年から数年間オランダ、ドイツを流浪したが、スウェーデン女王により駐仏大使に任用され、再びパリに帰った。44年大使解任、翌年スウェーデンにいったん帰国したが、その年の8月、ドイツのリューベックに向かって旅立ち、途中暴風のため遭難。かろうじて避難上陸し、馬車でリューベックに向かう途中、ロストックで8月28日夜半、疲労のために息を引き取った。

現代の国際紛争では、無辜の人々を傷つけてはいけないというグロティウスの訴えに反する行為が目立つ。その思想をあらためて噛み締めるべきだろう。

<参考資料>
  • 『グロティウス』柳原正治(清水書院) [LINK]
  • Natural Law and Peace: A Biography of Hugo Grotius | Libertarianism.org [LINK]
  • An Austrian Perspective on the History of Economic Thought | Mises Institute [LINK]
  • Hugo Grotius and the Dutch Golden Age | Published in Journal of Libertarian Studies [LINK]

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