ルネサンス時代の欧州では、人間を尊重し、人間の尊厳や価値を重視する人文主義(ヒューマニズム)の思想が盛んになった。この思想に基づき、フランス・ルネサンス文学最大の傑作といわれる物語『ガルガンチュワとパンタグリュエル』を著したのが、作家で人文主義者(ヒューマニスト)のフランソワ・ラブレーだ。
ルネサンス時代に生まれたラブレーは、宗教改革の混乱の中で成長し、キリスト教のカトリック(旧教)、プロテスタント(新教)それぞれの不寛容に抵抗した。最も尊敬する人物は、人文主義者の王者と呼ばれる、オランダのエラスムスだった。
ラブレーは1495年ごろ、中部フランス、ロワール川流域の町シノン近郊の村で、地主の三男として生まれたとされる。青年時代を、旧教のいろいろな宗派の修道院で過ごしたが、いわゆる在家僧になる許可を得て、フランス各地の大学で古典学、法律、医学を勉強したと伝えられる。とくに医学では優秀な才能を示した。
当時、ドイツのグーテンベルクが15世紀半ばに改良・実用化した活版印刷術が、製紙法の普及とあいまって情報伝達に一大変化をもたらしていた。手で写してきた中世の写本や木版に代わって、新しい思想や聖書の普及に大きな役割を果たした。ラブレーはこれらの出版物からむさぼり食うように知識を吸収したと思われる。生活のために、当時盛んになり始めていた古典文芸の翻刻に携わったが、そのかたわら、フランス王側近らの庇護を受け、侍医として仕えた。
ラブレーは1532〜52年にかけて『ガルガンチュワとパンタグリュエル』を執筆する。巨人の父子ガルガンチュワとパンタグリュエルを中心とした奇想天外な物語のなかに、社会や教会批判を盛り込んだ。このうち筋の上で2巻目にあたる『第二之書パンタグリュエル』が1532年にまず出版された。筋の上で1巻目にあたる『第一之書ガルガンチュワ』は1534年、『第二之書』の後で公にされ、順番が入れ替わっている。全5巻のうち5巻目は死後出版されたが、偽作ともいわれる。
当時、規制の制度、とりわけ宗教に挑戦することは、勇気を必要とした。たとえば、ラブレーの友人だったフランスの出版業者でヒューマニスト、エティエンヌ・ドレは絞首ののち火あぶりにされたし、同じくフランスのヒューマニストで、エラスムスや宗教改革者ルターの著書を翻訳したルイ・ド・ベルカンもパリの広場で火刑に処せられた。16世紀前半、これらの有名な人物たちとともに、多くの人々が旧教会側からの迫害によって命を落としていた。
それもあって、ラブレーの作品は、真正面からの教会批判でなく、遠まわしに批評する風刺の手法で貫かれることになった。博識に基づく主張をそのまま伝えるのではなく、地口・しゃれ・語呂合わせなどを駆使し、ときには性器や糞尿に関する露骨な描写や語彙を交えて、多くの人が楽しめるよう工夫している。
それでも、少なくとも生前に出版された4巻目まで、各巻が発表されるたびに、フランスの思想検察機関ともいえるパリ大学神学部(ソルボンヌ神学部)から告発され、何巻かは禁書にされている。ラブレーが滑稽な物語に託した鋭い批判を、見抜いたいたからにほかならないだろう。
ラブレーは修道院生活の経験に基づき、その欠点や短所を詳しく見聞していた。たとえば『第二之書』では、修道士のことを「これなる族(やから)は、ただひたすら瞑想に耽り礼拝にいそしみ断食を行なって五欲煩悩の身を責めさいなむこと以外にはなすべきことはないとか、哀れにも脆き人間の心を真に孚(はぐく)み養うこと以外になすべき勤めはないのだとか、巧言たらたら世の善男善女に言い聞かせ、しかも事実はその逆で、飲んだり食ったりして言語道断の大騒ぎ」(渡辺一夫訳、以下同)とこきおろしている。
また『第一之書』では、怠惰な修道士は「百姓のように汗水流すこともせず、武士のように国土を衛らず、医師のように病人を医(いや)しもせず、優れた福音伝道師や教育者のように世人に説教したりこれを教化したりすることもいたさず、商売(あきうど)のように国家社会に必要なる利便物資を運ぶこともいたさぬ。さればこそ万人より罵られ忌み嫌われるのだ」と罵倒している。
ラブレーは尊敬したエラスムスと同じく、戦争を嫌った。『第一之書』では、羊飼いと煎餅売りのささいな喧嘩をきっかけに、ガルガンチュワと暴君ピクロコルとの間に戦争が起こるというエピソードが描かれる。ガルガンチュワは武勇に優れた修道士ジャンの活躍で勝利を収め、ほうびとしてジャンの望む修道院の建立を許可する。
この「テレームの僧院」は、自由主義者ラブレーの夢を形にしたユートピアといわれる。それまでの修道院の常識を破り、美男美女が豪華な衣服を着て、自由で楽しく、しかも責任ある生活を送るのだった。そこでの規則は、ただ、「欲するところをなせ」という1項目だけだった。
なぜそれだけの規則で、楽しく、しかも責任ある生活を送れるのだろうか。これについてラブレーは「正しい血統に生れ、十分な教養を身につけ、心様(こころざま)優れた人々とともに睦み合う自由な人間は、生れながらにして或る本能と衝動とを具えて居り、これに駆られればこそ、常に徳行を樹(た)て、悪より身を退(ひ)く」からだと述べている。
フランス文学者の渡辺一夫氏は、『第一之書』の訳注で、ここで述べられた楽天主義や自由主義は「ラブレーの理想的人間像の一面に触れているに違いない」と述べている。また訳者解説で、「欲することをなせ」という原理を実行する人々は「教養も人格も十分に備わった男女であるべきだという条件がつく」と指摘し、ラブレーの考えは「極めて理想主義的な性善説に立脚した貴族的な自然主義的主張」だとも説明する。
ラブレーの晩年の消息は詳しくわかっていないが、ちょうどエラスムスがそうであったように、旧教側からも新教側からも白い目で見られるような憂き目に遭っていたようだ。それでもその作品は今も熱い自由の精神で読者の心を打ち、権力の横暴を糾弾する。歴史家のジム・パウエル氏は「ラブレーがすたれないのは、人生への大いなる喜びゆえだ」と述べている。

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