ハンス・ヘルマン・ホッペによるこの記事は、国家の本質的な性質と、その対外的な行動、特に戦争と帝国主義の関係について、オーストリア学派の視点から分析したものです。
1. 「国家」の本質:独占的権力と税金
筆者は、国家を以下の2つの特徴を持つ機関として定義します。
究極的な意思決定(管轄権)の強制的領土独占者: 紛争の究極的な仲裁者であり、自身が関わる紛争も裁定します。
課税の領土独占者: 法と秩序の提供に対して、国民が支払うべき価格を一方的に決定する機関です。
予測される帰結として、国家にしか裁定を求められない場合、正義は国家に有利なように歪められます。紛争を解決するどころか、独占者は自らの利益のために紛争を引き起こす傾向があります。さらに、正義の質が低下する一方で、課税権を持つ国家機関は、収入を最大化し、生産的な努力を最小化することを目指します。
2. 国家、戦争、帝国主義の関係
国家の対外的な結果に焦点を当てると、以下の傾向が見られます。
集中化と排除的な競争: 課税と法の歪曲を行う機関である国家は、最も生産的な市民が「脱出」して税から逃れる脅威に常に晒されています。国家は、支配と課税基盤の拡大を望むため、他の国家と対立します。異なる国家間の競争は排除的であり、ある領域には究極的な意思決定と課税の独占者は一つしか存在できません。この競争は、政治的な集中化、究極的には単一の世界国家へと向かう傾向を促進します。
本質的な攻撃性: 国家は、税金で賄われた究極的な意思決定の独占者であるため、本質的に攻撃的な機関です。個人の攻撃的な行動とは異なり、国家は攻撃行動のコストを納税者に外部化できるため、挑発者や侵略者になりやすく、集中化のプロセスは国家間の戦争という形で進むことが予想されます。
自由主義のパラドックス: 戦争での勝利は、長期的に見て、国家が自由に使える経済的資源の相対量に依存します。国家は課税と規制によって富を創造するのではなく、既存の富を食い潰します。
その結果、経済に対する課税や規制の負担が比較的低い「リベラルな国家」ほど、人口が増え、国内で生産される富が増える傾向にあり、より非リベラルな国家を打ち負かし、自国の領土や覇権的支配の範囲を拡大する傾向があります。
このパラドックス(逆説)が、西ヨーロッパが世界を支配するようになった理由や、最も自由主義的な国家の一つであったアメリカ合衆国が、最も攻撃的な外交政策を追求してきた理由を説明します。
3. 「民主的平和論」への批判
筆者は、民主主義国家同士は戦争をしないという「民主的平和論」を批判します。
ヘゲモニー(覇権)の問題: 民主的平和論者が提示する証拠は、民主主義が平和をもたらすのではなく、米国のような覇権的で帝国主義的な勢力が、その支配下にある国々が互いに戦争するのを許さなかったという事実にすぎません。ソ連支配下の東欧諸国間で戦争がなかったのも、ソ連がそれを許さなかったからです。
- 民主主義と自由の混同: 民主的平和論は、民主主義と自由(リバティ)を概念的に混同していると指摘します。自由の基礎は私有財産であり、私有財産は民主主義(多数決)とは論理的に両立しません。筆者にとって、「民主主義は共産主義の穏やかな変種」であり、自由とは何の関係もありません。
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