リバタリアンの思想家であるマレー・ロスバードは、孤立主義(Isolationism)をリバタリアン的な対外政策の必須の原則と位置づけています。彼の主要な論点は、国家権力の最小化というリバタリアンの国内目標を、対外的に完全に表現したものが孤立主義であるという点に集約されます。
1. 孤立主義と国家権力の最小化
孤立主義=国家権力の最小化の対外版: ロスバードにとって、孤立主義は国家権力を可能な限りゼロに近づけるというリバタリアンの目標の、対外的な側面です。
国家の成長: 介入主義(Interventionism)は孤立主義の対極にあり、究極の介入である戦争は国家の健康(War is the health of the state)であると述べています(ランドルフ・ボーンの言葉を引用)。
戦争の常態化: 戦争は危機的状況を提供し、それが「非常措置」という名目で国家権力の大幅な拡大(徴兵、増税、中央銀行、高関税、規制など)を可能にし、これらの拡大は戦後もほとんど解除されずに恒久的な国家権力の増大となってきました。彼は、米墨戦争、南北戦争、そして特に第一次世界大戦が国家権力増加の大きな転換点であったと指摘しています。
2. 第一次世界大戦とコーポレート・ステートの確立
ウィルソン主義の影響: ロスバードはウッドロー・ウィルソンを「アメリカ史上最大の悪影響を与えた人物」とみなし、彼の対外政策が1917年以降の永久的な集団安全保障(collective security)の概念を設定したと批判しています。これは、アメリカが世界中で他国に干渉し、「民主的な」政府を樹立するという役割を負うという考え方です。
国内の経済的ファシズム: 国内においては、ウィルソン時代に「コーポレート・ステート(企業国家)」、あるいは「経済的ファシズム」と呼ぶべき体制への意図的な移行が確立されました。これは、政府、大企業、大労働組合、そして知識人の「不浄な協力関係」であり、政府が経済を規制・助成する体制です。第一次世界大戦中の戦時産業局(War Industries Board)による経済計画が集団主義のモデルとなり、戦後も平和時の体制として定着させようとする試み(フーバー、フランクリン・ルーズベルトのニューディール政策)に引き継がれました。
3. 集団安全保障の批判と「公正な戦争」
紛争の最大化: 集団安全保障の概念は、世界のどこで起こった小さな国家間の紛争であっても、それを地球規模の世界的紛争にまでエスカレートさせる災害であると批判しています。
「侵略者」の誤った類推: 国家間の紛争を個人間の紛争(ジョーンズ対スミス)の「警察活動」になぞらえるのは誤りです。なぜなら、リバタリアンの観点からすれば、どの国家もその領土の正当な所有者ではないからです。
介入の最小化: ある国家(ルリタニア)が別の国家(ワルダビア)と争う場合、両国とも自国の国民に対しては侵略者です。第三者(例:アメリカ、国連)が介入してワルダビアを擁護すれば、関与する政府が増えるほど、より多くの罪のない市民が殺され、より多くの人々が課税や徴兵の犠牲になるため、全体の侵略が最大化されます。国家が関わる侵略を最小化する最善の方法は、第三者国が一切の紛争から遠ざかることです。
革命戦争は別: ロスバードは、アメリカ独立戦争は正当化できる唯一の戦争であると同意しています。その理由は、それが国家機構に対する戦争、つまり武装した公衆による下からの戦争であり、無実の民間人を傷つけたり、大規模な徴税や徴兵を伴ったりする可能性が低い(または、戦略的にそうせざるを得ない)からです。革命軍は標的を国家機構に絞る一方、反革命軍は人民の支持がないため、士気をくじくために民間人への大量虐殺的なテロ(戦略的集落政策など)に頼りがちです。
4. 適切なリバタリアン対外政策
政府の孤立: 適切なリバタリアン対外政策の基本要素は、政府に対し「海外で何もしないよう」圧力をかけること、つまり「店じまいして帰国すること」です。スメドレー・バトラー将軍の憲法修正案の提案(アメリカの兵士、航空機、船をアメリカ国外のいかなる場所にも送らない)がこの考えを表しています。
「国」の孤立ではない: ロスバードが提唱する孤立主義は、「国」を孤立させることではなく、「政府」を孤立させることです。貿易、旅行、移住を自発的に行う個人間の交流は、平和的に行うべきです。
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