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「反インフレ経済勉強会」開講のお知らせ

インフレは税の一種です。しかも普通の税よりも悪質な税です。ところが、この事実はよく理解されていません。それどころか、多少のインフレはむしろ良いことだという嘘が、現在主流の国家主義的な、誤った経済学(ケインズ経済学)や、そこから派生した極端な説 (MMT=現代貨幣理論など) によっ...

2025-11-12

闘いは愉悦

本稿はマレー・ロスバードが1993年に執筆した随想であり、国家主義や社会主義といった「悪」と闘う倫理的義務を説くものである。ロスバードは、自由主義や保守主義を掲げながら闘いを放棄する者に強い疑問を呈する。敗北主義に屈して「静かな生活」を求める者、あるいは理想の純粋共同体を作ろうと現実社会から退避する「隠遁主義者」は、いずれも異なる形で闘争を放棄しているにすぎないと批判する。彼にとって自由のための戦いは苦行ではなく、敵に抗すること自体が精神的高揚であり、勝算がなくとも抵抗する価値がある。退避主義者が「内面的自由」に満足するのに対し、ロスバードは「現実世界での自由と財産」を守るべきだと主張する。売国的な迎合も、純粋を装った逃避も、最終的には悪に屈する点で同じであるとし、現実世界に踏みとどまり、アメリカの自由と文明を守る戦いを続けよと訴える。最後に、正義の闘いはたとえ一時的に敗れても、神の見守る真理が未来を支えると結んでいる。
On Resisting Evil | Mises Institute [LINK]

本稿はロスバードによるレーガン批判の総決算であり、レーガンを「魅力と演出で覆い隠されたテフロン大統領」と断じる。彼は現実認識に乏しい役者的存在で、メディアは追及を怠り、大衆は人格に酔ったとする。政策面では、支出・債務・増税(名目の減税の裏での課税強化)を拡大し、規制緩和も実質進まず、社会保障を「救済」と称して増税で延命、保護主義・農業補助・インサイダー取引狩り・薬物戦争・監視強化など自由を侵害したと批判する。外交はレバノン・リビア・ペルシャ湾の失策、グレナダ侵攻、イラン・コントラ、対カンボジアでの誤った支援等を列挙。70年代の反政府機運はネオコンと宗教右派の台頭、知識人の迎合で取り込まれ、結果として「福祉=戦争国家」的心性と愛国的象徴崇拝が残ったと結ぶ。レーガンの遺産は自由の前進ではなく、その腐食であると断罪する。
Ronald Reagan: An Autopsy | Mises Institute [LINK]

本稿はロスバードの『自由の倫理学』冒頭部を抜粋したものであり、自然法思想を理性と人間本性に基づく倫理体系として再構築する試みである。著者は、自然法を神学的信仰と結びつける近代的誤解を批判し、トマス・アクィナスやグロティウスに連なる理性的自然法の伝統を復権する。自然法とは、人間の本性に固有の目的や傾向を理性で発見し、それに従う行為が「善」であるとする倫理である。ゆえに、善悪は主観的感情でなく、存在の充足・不充足という客観的基準で判断される。ロスバードは、自然法が人間の幸福を科学的に探求する「人間行為の学」としての意味を持つと述べ、経験主義や相対主義、信仰主義に対抗して理性の自律を擁護する。さらに自然法は国家権力や慣習法を批判しうる「普遍的かつ革命的倫理」であり、ロック以降の個人主義的自然権理論に発展したと論じる。その目的は、暴力の正当性や自由・財産・国家の正しい関係を定める政治哲学として、自然法的自由主義の基礎を築くことにある。
Introduction to Natural Law | Mises Institute [LINK]

本稿は「経済的権力」という言い方を批判し、強制=暴力に限定すべきだと論じる。解雇は「交換の拒否」にすぎず、自由社会では誰もが交換をする・しない権利を等しく持つ。もし労働者Bが雇用主Aに銃で契約を強制するなら、それは明白な暴力である。ゆえに「政府は私的強制を抑えるための暴力を使え」という中道路線は論理的に不可能で、「違法な強制」は①暴力のみ、または②交換拒否のみのどちらかを選ぶしかない。②を採れば、働くことの拒否が禁じられ、社会は事実上の奴隷制となる。強盗は被害者から奪うが、雇用を要求する者は雇用主の財産を要求しているに等しく、特定企業の職への「自然権」は存在しない。自然権は自由にあり、国家の正当な役割は暴力の防止に限られる、というのが結論である。
The "Economic Power" Canard | Mises Institute [LINK]

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