2023-04-10

【コラム】偽りの聖地

木村 貴

岸田文雄首相は3月21日、ウクライナの首都キーウ(キエフ)を「電撃」訪問しゼレンスキー大統領と会談した。戦闘が続く国・地域を日本の首相が訪問するのは第2次世界大戦後初めてだ。主要7カ国(G7)の議長としてウクライナへの「揺るぎない連帯」を強調し、殺傷能力のない装備品の提供へ3000万ドル(40億円程度)の拠出を表明した
首相は会談に先立ち、「400人超の民間人が殺害されたとされる」(ロイター通信)キエフ近郊のブチャを訪れ献花し、黙祷を捧げた。首相は、1年前にブチャで起きたことに「世界中が驚愕した」とし、犠牲者や負傷者に「日本国民を代表し、心からお悔みを申し上げる」と述べた。

日本経済新聞の3月31日記事(「『許せない』 岸田首相はブチャでそう呟いた 検証・ウクライナ訪問」)によると、首相がウクライナ到着後、真っ先にブチャに向かった背景には、罪のない多くの命がロシアによって奪われたこの地には「被爆地・広島と共通するものがある」という首相の持論があったという。ブチャでは教会を訪れ、家族を失った人の話を聞いたり、教会内に並べられた凄惨な写真を見たりした後、「来て良かった」「こんなひどいことは許してはいけない」と語った。

岸田首相が本当に、ブチャで400人超の命を奪ったとされるロシアに対し「こんなひどいことは許してはいけない」と憤るのなら当然、広島への原爆投下で約14万人の命を奪った米国に対しては、それ以上に怒り、非難するはずだが、これまで首相の口からそのような言葉は聞いたことがない。奥ゆかしいかぎりだ。

「虐殺の町」ブチャには、岸田首相以前にも米欧諸国から要人が度々訪れ、ある種の「聖地」となっている。ウクライナ最高議会のアレクサンドル・ドゥビンスキー議員が明かすところによると、ウクライナはブチャという「悲しみの絵」を残し、西側諸国に援助を求めやすくするため、あえて修復していないという。

ロシア軍からの解放宣言(といっても後述のように、ロシア軍の自主撤退だが)から1年となった3月31日には、ゼレンスキー大統領自らブチャを訪れ、「我々は決して許さない。全ての犯罪者に罰を与える」と演説し、ロシアの戦争犯罪を追及する姿勢を改めて示した

しかし、一つだけ問題がある。米国が広島(と長崎)に原爆を落とし多数の市民の命を奪ったのは、米国自身も認めるまぎれもない事実だが、ロシアがブチャで多くの民間人を虐殺したというウクライナの主張には、ロシアが事実無根だと反論し、その他の論者からも疑問が呈されている。

まず昨年3月、ロシア軍がブチャの町にいたとき、住民は自由に動き回り、携帯電話を使うことができた。モバイル通信が自由に利用でき、その利用が妨げられなかったので、人々はメッセージを送ったり、親戚や友人、メディアに電話をかけたり、写真や動画を共有したりすることができた。町で何か悲惨なことが起こっていれば、その状況を伝えることもできたはずだ。「しかし、そのようなことは何も起きていなかったので、何も報告されなかった」と在英ロシア大使館は指摘する

3月30日、ロシア軍はブチャから撤退した。これは前日の29日、トルコのイスタンブールで開いた停戦協議の際、ロシアがウクライナと和平合意に達する用意があることを示す善意の印として、自発的に撤退させたものだ。停戦協議では、ロシアが分離独立したドンバス地方とクリミア半島を除くすべてのウクライナから撤退する代わりに、ウクライナは将来の北大西洋条約機構(NATO)加盟を見送り、ロシアとNATOの間の中立を誓うなど、具体的な条件を出して歩み寄り、和平実現に近づいていた。

3月31日、ブチャのフェドルク市長は、市内で自ら撮影した動画を公開した。動画の市長は明るい声で語り、ロシア軍の撤退を喜んだが、処刑された地元民が路上に横たわっているという発言はなかった。市長が撮影した道路にも遺体はなかった。当時SNS(交流サイト)に動画を投稿したのはブチャ市長1人だけではなかった。ブチャの市議会議員の1人も動画を投稿していた。そしてやはり、その動画にも遺体は映っていない。

ブチャはそれほど大きな町ではない。市長がブチャの町を視察した際、後日世界のマスコミがトップニュースとして報じた多数の遺体のうち1体も目にしなかったという事態は「想像不可能」だとロシアの通信社スプートニクは疑問を呈する
ロシア軍撤退後、ウクライナはブチャに特殊部隊を投入。その目的はブチャからの「親ロシア派対敵協力者」の「一掃」と発表され、ウクライナのマスコミ自らこの発表を広めた。特殊部隊は、極端な民族主義で悪名高いアゾフ連隊の戦闘員を伴っていた。上官の通称「ボツマン」氏が投稿した動画によると、戦闘員はこんな会話をする。「青い腕章をしてない奴らがいるんだが、撃っていいか」「いいともさ」 

青い腕章はウクライナ軍との協力関係を示す。一方、白い腕章は自らロシア軍に降伏したことを示す。アナリストのゴードン・ハーン氏は2022年5月10日、自身のウェブサイトで公開した分析で、「動画に映された遺体が白い腕章を付けている事実は、これによって説明できる」と指摘する。さらに「写真で見るよりも多くの死体が白い腕章を付けている可能性がある」とし、「ウクライナ軍や武装勢力は、白い腕章を付けた市民をロシア側の協力者とみなして捕らえ、殺害した可能性がある」と述べる。もし事実なら、それこそ戦争犯罪である。

そしてロシア軍撤退から4日間が経過した4月3日、ウクライナ当局は外国人記者を呼び集め、ブチャ、同じくキエフ近郊のイルピンなどで民間人410人の遺体が見つかったと発表した。現地入りしたメディアが、路上に多くの遺体が横たわる写真や映像を伝えたのは周知のとおりだ。白い腕章を付けた遺体のほか、両手を後ろで縛られた遺体や多数の銃弾を受けた遺体もあった。「空白の4日間」に何が行われたか、全容は明らかになっていない。

フランス人記者、アドリアン・ボケ氏は当時、ウクライナがブチャでの民間人虐殺の演出を準備している様子などを目にしたという。「ブチャの悲劇」の真実をあえて伝えたとしてフランスで投獄されそうになっていることを知り、ロシアに政治亡命を要請した。昨年9月にはイスタンブールで正体不明の2人組に襲われ、数回刺されたという。元スイス情報局員のジャック・ボー氏は「ブチャの大虐殺の全貌はわからないが、ウクライナが自国の犯罪を隠蔽するためにこの事件を演出したという仮説は、入手可能な証拠によって支持されている」と述べる。

ブチャの住民の中には、ロシア人がブチャの住民を射殺したと証言している人もいる。しかし前出のハーン氏が分析を公開した時点で、ロシア軍がブチャに滞在していた1カ月に大規模な殺戮を行ったという証拠はなかったし、その後も見つかっていない。ロイター通信によれば、米国防当局者も、多数の遺体が見つかった直後、ロシアによる「大虐殺」というウクライナの主張を米国防総省は独自には確認できていないと述べた。一方、「反論する根拠も存在しない」とした。

ロシアは国連に対し独立した調査を求めているが、いまだに実現していない。露外務省のザハロワ報道官は今年3月30日の会見で、「真実を知るためには、公正・公平で独立した調査を行うことが必要であり、その調査は遺体の識別、死亡時刻と原因、遺体の運搬の可能性のある兆候という四つの問いに答えを与えるよう焦点を当てるべきだ」と強調した。国連に犠牲者のリストを公表するよう求めているが、これも提供されていないという。

そもそもロシアはブチャの「虐殺」が報じられた昨年4月、国連安全保障理事会で議論するよう招集を求めたが、議長国である英国から三度にわたり拒否されている。同じ月の9日、その英国のジョンソン首相(当時)がウクライナを訪れゼレンスキー大統領と会談し、ロシアの侵攻の長期化に備えた支援策について協議した。つまりロシアとの和平に近づいていたウクライナは、なぜか急に戦争継続に方針転換した、あるいはさせられたわけだ。ロシア非難に火をつけたブチャの「虐殺」は、戦争続行に転じたウクライナが国際世論を味方につけるうえで、絶妙なタイミングで明らかになったといえる。
これは偶然なのだろうか。ウクライナのイリヤ・キバ元議員は通信アプリ「テレグラム」の動画で、ブチャの悲劇は英秘密情報部(MI6)が計画し、ウクライナ保安局(SBU)が実行したと語っている

真相究明のためには「公正・公平で独立した調査」が必要だが、国連や西側によって拒否されているのは述べたとおりだ。すなわち、ロシアがブチャで「虐殺」を行ったというウクライナの主張は、証明された事実ではない。むしろさまざまな傍証に照らすと、「真犯人」はウクライナ自身や西側政府である可能性すらある。ブチャは偽りの聖地であるかもしれないのだ。

ところが西側の政治家はそんなことはおかまいなしに、ブチャ詣でを繰り返し、真相を語ることのない死者に花をたむけ、「こんなひどいことは許してはいけない」と憤ってみせる。メディアはせっかく現地に入っても、真実を追求するという本来の役割を忘れ、嬉々として政治家のPRに努める。控えめにいって、吐き気を催す。

西側の政治家たちがブチャという聖地をこれほどもてはやす理由は、簡単だ。戦争の続行・拡大を国際世論に支持させるのに便利だからである。ブチャを訪れた政治家たちは、犠牲者の墓前で冥福を祈るが早いか、ウクライナへの「追加支援」を誓う。メディアを通じブチャの物語に心を揺さぶられた無邪気な納税者は、また財布の紐をゆるめてくれるだろう。

この1年間、ウクライナにロシアとの和平を諦め、戦争を続けさせるうえで、ブチャという聖地は大きな役割を果たした。そのことを端的に示す専門家の発言を、最後に紹介しよう。

昨年4月3日、日本経済新聞がブチャの「虐殺」の疑いを伝えた第一報(「ウクライナ『キーウ州全域奪還』 市民多数犠牲、虐殺か」)に、細谷雄一・慶應義塾大学法学部教授が翌日付でコメントを付けている。細谷氏は早くも、ロシアによる「無差別な、軍事的必要性のない殺戮」「時代錯誤な民間人の殺戮」と決めつけ、「これは戦争犯罪の可能性が極めて高い」と述べたうえで、こう書く。

戦争勃発直後には、これ以上戦争による犠牲者を出さないために、ロシアの条件をのんで非武装化するか、降伏する必要があるという議論も一部では見られましたが、その結果はこのような民間人の犠牲を伴っていた可能性が高かったはずです。

平たくいえば、もしウクライナがうかつにもロシアと早々に和平を結び、非武装化か降伏かしていたら、ブチャのように、凶暴で時代錯誤なロシア人によって無差別殺戮の犠牲になっていたはずだ。戦争を続けてよかったね、と細谷氏は言っているのだ。まさしく西側政府がブチャの「虐殺」に期待した効果そのものであり、日ごろ親欧米ぶりを隠さない細谷教授にふさわしい発言といえる。

しかし、この見方は正しかっただろうか。ロシアに編入されたドンバス地方やクリミア半島で、住民がロシアに無差別殺戮されているという話は聞かない。一方、ウクライナの民間人はウクライナ政府に徴兵に駆り出され、ろくすっぽ訓練も受けないままバフムトなどの前線に送り込まれ、数万人単位で命を落としている。昨年和平を結んでいれば、この人々は死なずに済んだ。

それでも専門家や政治家は言うのだろう。ここで戦争を止めたら、もっと悲惨なことになりますよ、と。その空虚な言葉を花や教会の美しいイメージで飾り立てるために、ブチャの神話を壊したくはないのだ。たとえそれが偽りの聖地だとしても。

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