ケイトー研究所主任研究員、マリアン・テューピー
(2019年3月11日)
工業化以前の欧州社会は、少数の超富裕層と大多数の超貧困層に二分されていた。ルイ14世時代の軍事技術者ド・ヴォーバンの推定によれば、フランスの人口構成は、10%が富裕層、50%が極貧層、30%が乞食に近く、10%が乞食だった。同様に、イタリアの歴史家でマキアヴェリの友人でもあったフランチェスコ・グイチャルディーニは、「(スペイン)王国の少数の大公が非常に豪華に暮らしていることを除けば、他の人々は非常に貧しく暮らしていると思われる」と書いている。
In 15th century England, 80% of income was spent on food.
— HumanProgress.org (@HumanProgress) July 10, 2022
Of that amount, 20% was spent on bread alone.https://t.co/UcXVJKznvh
実際、17世紀末にフランスのアルザス地方アランコンで行われた国勢調査では、41万人の住民のうち、4万8051人が乞食であったことがわかっている。これは人口の約12%に相当する。ブルターニュ地方では、人口165万5千人のうち、乞食は14万9325人で、約9%を占めた。 ヘンリー8世当時の英国の人口550万人のうち、130万人(つまり4分の1近く)が「下宿人と貧民」と表現された。つまり、農村の下宿人と都市の貧民は同じような生活水準にあると考えられていたのである。このような惨めな人たちの大多数は、田舎に住んでいた。
経済学者カルロ・チポラが述べるように、飢饉の年に都市で貧困層が急増したのは、飢えた農民が貧しい田舎から逃げ出し、慈善が受けやすく、富裕層の家に食料が蓄えられている見込みのある、都市中心部に押し寄せたからである。1629年の飢饉の際、イタリアのミラノでは数カ月の間に乞食の数が3554人から9715人に増えたという。
16世紀の伊ロンバルディアにおける農村生活の記録によると、「農民の暮らしは小麦しだいだ。……他の支出は無視してもよさそうに思える。労働者の不満を高めるのは小麦不足だからだ」。15世紀の英国では個人消費の80%が食料に費やされ、そのうち20%をパン代だけで占めた。
それに比べ、2013年の米国では、個人消費のわずか10%が食費に費やされているにすぎない。この数字自体、米国人がレストランで費やす金額によって膨らんでいる。健康上の理由から、多くの米国人はパンを食べることを避けている。
水や森、家畜から取れる食品はどうだろうか。チポラによれば、産業革命以前の英国では、野菜は体液を腐らせ、腐敗熱、憂鬱、鼓腸の原因になると信じられていた。こうした考え方の結果、果物や野菜の需要が少なくなり、国民は病的な状態で生活していた。また文化的な理由から、多くの人々は、優れたタンパク源である新鮮な牛乳を避けていた。その代わり、裕福な人々は乳母を雇い、乳房から直接母乳を飲んだ。
大陸欧州の食生活は、やや変化に富んでいたが、農民の生活水準はどちらかといえば英国より低かった。17世紀フランスの農村の暮らしぶりを描いた本によると、貧しい農民はほとんど食べられず、せいぜいパンと果物だけだが、それでも慰めにはなった。賃金は英国の農夫や貧しい工員ほどではないが、イタリアのヴィラーノ(農民)よりははるかにましだった。
私たちの祖先は、女性や子供も含めて、生きるために十分なカロリーを追求することに夢中になっていたのである。女性は家政婦として働くだけでなく、パンやパスタ、毛織物や靴下など、市場で売れるものを生産していた。14世紀の細密画には、農業に従事する女性の姿が描かれている。
ロマン派の画家、哲学者、詩人たちが描いた理想的な農村生活のイメージは、現代の読者の現実感覚を非常にゆがめている。チポラによれば、実際には多数の人々が栄養不足の状態で生活していた。このため、深刻なビタミン欠乏症が起こった。不潔が蔓延していたため、厄介でつらい皮膚病が発生した。地域によってはマラリアが流行したり、婚姻の選択制限によりクレチン病(先天性甲状腺機能低下症)が発生したりした。
(次より抄訳)
Rural Life in the past Was a Battle for Survival - HumanProgress [LINK]
0 件のコメント:
コメントを投稿