2022-09-05

資本主義を蝕む縁故経済

経済学者、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス
(1932年)

今日、偉大な起業家はしばしば「経済リーダー」として引き合いに出される。だが資本主義社会には「経済リーダー」は存在しない。そこに社会主義と資本主義の異なる特徴がある。資本主義では、企業家と資本家は市場のリーダーシップ以外には従わない。

大企業の創業者を経済リーダーとみる習慣は、今日では、経済的成功によってではなく、むしろ他の手段によってその地位に達するのが普通であることを、すでにある程度示している。

介入主義国家では、消費者のニーズを最良かつ安価な方法で満たすように事業を運営することは、もはや企業の成功にとってきわめて重要ではない。支配的な政治勢力と「良い関係」を築くこと、政府の介入によって企業に不利益ではなく利益をもたらすほうがはるかに重要である。

企業の生産物に対するあとわずかの関税保護は、慎重な業務遂行よりも企業の助けになることがある。企業はうまく経営していても、関税率の取り決め、仲裁委員会での賃金交渉、カルテルの運営組織において自社の利益を守る方法を知らなければ、潰れてしまうだろう。上手に安く生産するよりも、「コネ(縁故)」を持つほうがはるかに重要なのだ。

その結果、企業のトップに立つのは、事業を組織化し、市場状況に応じた生産を指示する方法を知っている人ではなく、目上とも目下ともうまくやれる人物、マスコミや政党、とくに急進派とうまくやる方法を知っていて、その付き合いで不快感を与えない人になる。これが普通の役員と呼ばれる人々であり、商売の相手よりも、政府高官や党指導者との付き合いが多い。

企業の多くは政治上の便宜に頼っているので、経営者は政治家に見返りを払わなければならない。近年どの大企業も、明らかに採算が合わない取引で、損失が予想されるのに、政治上の理由でやめられず、多額の出費を強いられている。選挙資金や福祉施設など、ビジネス以外の分野への寄付は言うまでもない。

大銀行や大企業の取締役を株主から独立させようとする勢力が、強く主張するようになった。政治の後押しを受けた、この「大企業の社会化」、つまり株主利益の追求以外の利害に企業経営を委ねることは、国家主義の物書きたちによって、資本主義を打ち負かしたあかしとして歓迎されている。

国家の影響力と経済介入を支持する世論を背景に、今日の大企業トップは、自分は株主よりも強いと感じ、株主の利益を考慮する必要はないと考えている。国家主義が強く支配する国々、たとえば旧オーストリア・ハンガリー帝国の後身諸国では、社会事業の運営において、公共事業の責任者と同じように収益性には無頓着である。その結果は経営破綻だ。

喧伝される理論によれば、大規模な社会事業では、利益の追求だけでは経営が成り立たないという。この考えは、採算を度外視して事業を進めた結果、企業が破綻した場合には、きわめて好都合である。なぜならそのとき、同じ理論によって、大きすぎてつぶせない企業を支援するために、国家の介入を求めることができるからである。

社会主義や介入主義が、資本主義をまだ一掃できていないのは事実である。もしそうなれば、何世紀にもわたって繁栄してきた欧州は、再び大飢饉に直面するだろう。

(次より抄訳)
The Myth of the Failure of Capitalism | Mises Wire [LINK]

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