2022-09-12

社会主義が環境にやさしいという嘘

ケイトー研究所主任研究員、マリアン・テューピー
(2017年12月15日)

社会主義国は非常に非効率だった(キューバ、ベネズエラ、北朝鮮など現存する社会主義国では今でもそうである)。生産を最大化し、より効率的な資本主義国に追いつくために、排ガス基準を低く設定するか、基準そのものを設けなかった。安全衛生に関する規制は無視されるか、まったく存在しないかのどちらかだった。独立した労働組合を禁止し、しばしば奴隷労働に頼った。

社会主義の環境軽視は、財産権に対する蔑視によって、さらに悪化した。資本主義経済では、農場や工場は個人または企業の所有物である。もし環境や労働力に損害を与えれば、法廷で責任を問われる。社会主義経済では、土地や空気(極端な場合は人間も)は国家によって所有され、「共有地の悲劇」に見舞われることになった。

例えば、中央の計画当局から一定量の鉄棒を生産するよう命じられた国営工場は、環境や民衆に損害を与えようとも、生産割当を満たすことが許されただけでなく、積極的に促された。資本主義国では、政府は環境基準の実施と労働者の保護を任されている。社会主義国では、政府は生産割当の執行者であると同時に、環境と労働者の保護者だとされる。この二つ役割のうちどちらかを選ぶとなると、社会主義国は必ずと言っていいほど前者を選んでいた。

社会主義国の環境軽視の最たる例は、おそらく中国のデータに見ることができる。毛沢東の大躍進時代(1958〜1962年)の排出量は、米国と比較すると、成層圏に達していた。その後減少したものの、中国が社会主義を放棄する1970年代後半までは、非常に高い排出量が続いた。中国が経済の自由化(価格機構と財産権の導入)を始めてから、排出量は劇的に減少した。

社会主義国は、中央集権的な計画経済の結果、資本主義国よりはるかに貧しかった。これは環境クズネッツ曲線と呼ばれる現象から、重要なことである。一般に、国民が豊かであればあるほど、きれいな空気や川、職場の高い安全衛生基準といった「贅沢品」のためにお金を払う傾向がある。現代人の耳には奇妙に聞こえるかもしれないが、きれいな環境と労働者の幸せは、本当の意味で、ずっと貧しい祖先には手に入らなかった「贅沢品」なのである。

アフリカやアジアの多くの地域にいるような本当に貧しい人々は、自分たちが生き残ることを第一に考えている。他のことは二の次なのだ。信じられないかもしれないが、ジンバブエの経済が崩壊した後、人々は家族を養うために、それまで保護されていた野生動物を殺戮し始めた。ベネズエラの経済破綻では、首都にある動物園の動物たちが食卓に上った。ウクライナの大飢饉(ホロドモール)では、人々は互いに食い合った。

つまり、社会主義が答えではないのだ。歴史的に見ても、社会主義的な生産から生じる環境破壊は、資本主義よりもはるかに大きい。ソビエト帝国崩壊後に行われたあらゆる学術的研究によると、旧社会主義国の環境の質は、資本主義国よりも劣っている。

環境を保護する最善の方法は、金持ちになることだ。そうすれば、庶民の生活に必要なだけでなく、よりクリーンな発電所や水処理施設を作るための資金も十分確保できる。資本主義が富を生み出す最良の方法である以上、人類はそれを貫くべきである。

(次より抄訳)
There's Nothing Green About Socialism - HumanProgress [LINK]

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