ジャーナリスト、ジャスティン・レイモンド
(2001年9月11日)
四機の航空機をハイジャックした組織的な作戦で、二機が世界貿易センタービルに突入して倒壊させ、(おそらく)何千人もの死傷者を出した。首都ワシントンでは国防総省そのものが攻撃を受け、少なくとも一回の爆発があったと報じられている。
Justin Raimondo’s column on 9/11/01:
— Antiwar.com (@Antiwarcom) September 11, 2021
TERROR
The price of hegemonyhttps://t.co/Pa7fts1GmM pic.twitter.com/vm5foISZaT
国務省もさらなるドラマの舞台となった。付近で爆発に見舞われ、避難させられたのだ。ニューヨークの上空をパトロールするF16ジェット戦闘機と、今朝ニューヨークで予定されていた予備選挙の中止をアナウンサーが抑揚ある声で伝える姿は、実に奇妙な光景だった。
米国人はある日目を覚ますと突然、自分たちが第三世界の国に住んでいることに気づく。すべての市民的自由が停止され、戒厳令が発されたと知ったら、誰もが驚くだろうか。何が起こっているのか。
何が起こっているかというと、戦争が米国に戻ってきたのだ。米国と中東のおもな同盟国がパレスチナの蜂起に対して行った戦争は、ガザの通りからアメリカ帝国の都市の大通りに移った。米国人が今直面しているのは、イスラエル人が日々直面していることと同じだ。私たちにとって今回の攻撃は記念碑的な規模の恐怖であり、「異常」という表現が控えめすぎるほど常軌を逸したものである。
イスラエル人は最近、選挙で決断した。パレスチナ人の要求に屈するよりも、このような生き方を選びたい、と。インティファーダ(反イスラエル闘争)に対し強硬路線をとると誓ったタカ派、アリエル・シャロンを首相に選出したのだ。パレスチナの反応は容赦ない。民間人を標的にした自爆テロによる悪質な全面戦争である。イスラエル人はこれを投票で選んだし、自分たちが何をしようとしているのかわかっていて、それに耐えるために自らを奮い立たせている。ここで疑問がわく。米国はいつ、この戦争に賛成したのだろう。
「おおげさな話ではなく、これは第二の真珠湾だ」と、議会の戦争タカ派であるチャック・ヘーゲル上院議員(共和党・ネブラスカ州。オバマ政権で国防長官)は言う。対日戦勝記念日(9月3日)のわずか数日後、神風機が米国の標的に飛び込むという現象が再び起こったことは、米国人に考え直させるだろう。前回米国人がこうした狂信に立ち向かい、打ち負かしたのは、全国民が動員され軍国主義となり、大統領選中止まで取り沙汰された世界大戦のときだった。それを再びやるつもりなのか。冷静に考えてみよう。
米本土は先の大戦でまったく影響を受けなかった。何百万人もの人が殺されたが、自国の海岸ではなかった。敵が一番近くに来たのは、日本軍がワシントン州の上空に熱気球を投下したときだ。しかし、今回は違う。グローバル化の時代に世界大戦とは、すべての人の裏庭が戦場になる可能性があることを意味する。
外交の世界でよく耳にする、「覇権主義」という言葉がある。米国は力の絶頂にある。フランスでは、アメリカ帝国の傲慢な高みを表す特別な言葉として、「超大国」という言葉まで生まれている。この言葉は、人類の歴史を超越し、人類の存在に付随する通常の規則や条件を超越した、並外れた、前例のない権力を表すために作られたものである。
米国は行動するばかりで、結果を重視してこなかった。過去の帝国とは異なり、命令しても反撃されることはないと思われていた。今、私たちはそれが真実でないと知っている。残念ながら、苦労して学ぶはめになった。
(次より抄訳)
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