経済学者、ヨルグ・ギド・ヒュルスマン
(2016年5月10日)
Monetary interventionism, designed to create ever increasing amounts of credit, undermines personal responsibility. This tends to destroy thinking in terms of causes and consequences, and in terms of good and bad.
— Mises Institute (@mises) July 5, 2022
The result is moral decadence.https://t.co/5qgcUNicqR
増え続ける信用を作り出すための金融介入主義は、個人の責任を弱める。安易な信用は、その受益者に、預けた資本を浪費するよう促す。なぜなら、いつでも新しい信用で損失の補填を望めるからである。しかし、資本の浪費は短期の結果にすぎず、物質的なものにしか関係しない。それより重要なのは、安易な信用供与が受益者の人間そのものに与える影響である。
信用供与を受ける個人は、自分の選択による悪い影響をすべて被るわけではないので、自分の行動の結果を理解し、その結果に自ら気を配ることを学ぶ動機が乏しくなる。要するに、責任感の欠如は、原因と結果、善悪の観点からの思考を破壊しやすい。思考が混乱する。個人的な尊敬や思いやりは、無関心になるか、せいぜい曖昧な表現になり、行動で示される個人的な約束もなくなる。人間はまだ道徳的な存在だが、その道徳は深く傷つくことになる。
特に安易な信用供与によって福祉国家が拡大した国々では、道徳の退廃が起こった。安易な信用供与が道徳の衰退の唯一の原因だと言うわけではない。しかし安易な信用は、経済的に成り立たない生活スタイルに資金を供給するだけでなく、人々が怠惰で、他人や自分に無関心であるように人々にお金を払うことで、根本的な役割を果たした。
現在の金融・経済危機も、直接には金融介入主義にさかのぼることができる。中央銀行は不換貨幣を生産し、銀行システムやその他の金融市場を安定させるはずだった。しかしこうした安定化策は、銀行家や投資家が無責任な選択をする逆インセンティブを作り出した。中央銀行からの支援によってリスクの一部が「社会化」されたため、銀行家や投資家は特にリスクの高い投資、特に高いリターンが期待できる投資を探したのである。
しかも、自己資本比率を1〜3%という途方もなく低い水準で運用することで、自らのリスクに対する備えを弱めた。この選択は、個々の銀行や投資家から見れば合理的であっても、全体から見れば明らかに破滅的だった。しかし、こうした選択が、いわゆる安定化政策に反して行われたのではなく、まさに安定化政策のために行われたことは、いくら強調しても強調しきれない。金融・財政の安定化政策は、結果的に非安定化政策となった。
さいわい、直接の代替案がある。政府による通貨供給の統制を廃止し、民間企業に委ねることである。貨幣は個人・団体・企業によって競争的に生産することができる。真に自由な貨幣市場では、不換貨幣は消滅し、銀や金のような商品貨幣に取って代わられやすい。そうなると、もはや好き勝手な量の貨幣や信用を生産・供与することはできなくなる。その結果、あらゆるレベルの意思決定がより責任あるものになる。物質的な浪費と道徳的な退廃は、適度な割合に減少する。
(次より抄訳)
Easy-Money Policies Are Both Economically and Socially Destructive | Mises Wire [LINK]
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