経済学者、クリストファー・ムステン・ハンセン
(2022年9月17日)
1960年代のインドの飢饉をきっかけに、「緑の革命」(農業技術の革新)が始まり、その主人公である米農学者ノーマン・ボーローグが世界的に有名になった。しかし、この革命は当初から政治的な理由で歪められていた。
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— Marc Morano (@ClimateDepot) September 17, 2022
60年代、米国の農業は多額の補助金を受けており、その結果、膨大な余剰生産が生じていた。この余剰生産物は、少なくとも米国の農家が破産しない限り、市場価格で売ることはできない。米政府は米国産農産物の輸出に補助金を出し、国内市場での価格を人為的に高く保った。
インドでは安価な米国産小麦があふれたが、これはインドの食糧不足を解消せず、むしろ食糧不足を引き起こした。インド人は(食用作物から)輸出用の換金作物(サトウキビやジュート)に生産を移し、それによって安価な米国産穀物の輸入資金を調達したのである。
1965年以降の干魃で、食用作物だけでなく、ジュートやサトウキビが不作になり、農業労働者は困窮にあえいだが、飢饉とまではいかなかった。1965年、ジョンソン米大統領はインドの干魃と飢餓の恐怖を煽り、農産物輸出への補助金を増やし、海外援助を行う新農業法案を成立させた。
インドの悲惨な状況を強調することは、ボーローグらの意図でもあった。メキシコで育成された特殊な小麦品種がインド北部に広く導入され、都合よく干魃が終息すると、最初の収穫で大量の作物が穫れた。インドと中国でほぼすべての作物の収量が記録的な水準に達していたのに、ボーローグは平然と自分の手柄にしたのである。
緑の革命は、政府と非政府組織(NGO)のテクノクラート(技術官僚)が主導し、主に欧米の開発援助機関が資金を提供した。国際稲作研究所(フィリピン政府、フォード財団、ロックフェラー財団が設立)と国際トウモロコシ・コムギ改良センター(メキシコ政府とロックフェラー財団が設立)による、ハイブリッド米と小麦の品種改良は、農業近代化の旗手とされた。
実際には欧米など先進国の農業が、多くの資本投入を必要とする、きわめて集約的な栽培にシフトしていった。ボーローグの小麦品種は、大量の肥料を投入して初めて、インド原産の小麦に打ち勝ったのである。インド政府と海外援助機関が肥料や灌漑設備に多額の補助金を出していなければ、ボーローグの小麦が広く普及することはなかっただろう。
緑の革命の支持者があげるメリットによれば、効率よい食糧生産が実現し、農業以外の仕事に労働力が解放され、遺伝子技術を利用して食糧の質を高め、栄養失調を避けることができるという。良識ある人々でさえ、コメ生産国における栄養不良の解決策として、ビタミンAを多く含むよう遺伝子操作された「ゴールデンライス」の導入を長年支持してきた。
しかしテクノクラートとその支持者は、緑の革命自体が栄養失調の原因だったという事実に触れない。インドで小麦の収量が増加すると、その相対価格が下がり、タンパク質と微量栄養素を豊富に含む代替食品に取って代わった。緑の革命の直接の結果として、インドの栄養失調率は上昇した。先進国でも類似の理由で同様の現象が起こった。
技術で労働力を解放したといっても、実際には、農業への過剰投資で農業労働力の需要が減ったにすぎず、他の産業で労働力の需要が増えたわけではない。それどころか、非農業部門に投じる資本が減ったため、他産業で労働需要と賃金は増えなかった。こうして緑の革命は、低賃金の仕事と政府の施しで生活する第三世界のスラムの増加に重要な役割を果たした。
緑の革命は恵みではなかった。統制なしに作物を育てる愚かな農民に対する、賢い科学者の勝利だった。いやむしろ、生態学的、栄養学的、社会的な災厄だった。
(次より抄訳)
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