2022-09-19

アメリカ革命という誤った名称

ロン・ポール研究所 上級研究員、アダム・ディック
(2022年7月4日)

独立記念日には、多くの米国人がアメリカ革命について思いを馳せる。ここで重要なのは、「アメリカ革命」は誤った名称であるということだ。より適切な名称は「アメリカ分離独立」だろう。

米政府の権力と米国人の不満が膨らんだ今、再びアメリカ分離独立を果たすべきときが来たのかどうかが、適切な問いとなる。

アメリカの「革命家」たちは、英国の王や議会に取って代わろうとしたのではない。それは革命家が求めるものだ。そうではなく、植民地が英国の支配から独立すること、つまり分離独立することを望んだのである。

このアメリカ分離独立は、英国の十三の植民地が同時に進めた「十三の分離独立」とさえ考えられる。植民地間の連携もあり、異なる植民地の人々が協力して英国の軍隊と戦うこともあった。しかし、分離独立は個々の植民地のために行われたものであり、米政府を包括するものではない。

約二百五十年の時を経て、毎年7月4日の独立記念日を祝うようになった独立宣言の末尾では、十三の植民地が独立を主張し、それぞれが独立国家として、英国のような国家が持っていたすべての権限を独自に主張していることが明確にされている。

米国では独立宣言に署名して以来、「州」という言葉の理解が、時とともに変質してきた。米国の各州は、英国からの分離独立に成功してから十年後、合衆国憲法の規定に基づき、いくつかの権力を手放した。その後、時間の経過とともに、首都ワシントンにある中央政府は成長を続け、州が持つと理解されていた他の多くの権力を連邦の州から奪い取った。五十州は米政府の単なる行政区にすぎなくなった。

しかし、各州はまだかなりの独立性を保っている。所得税や売上税を課さないことで相対的に租税回避地としての地位を築いた州がある。この四半世紀、米政府がマリファナとの戦いを続ける一方で、多くの州が自由化を選択してきた。コロナウイルス騒動の際、初期は各州が一斉に自由を厳しく制限したものの、その後はまったく異なる政策をとった。

現在、米国民が抱く不満の理由の大部分は、米国が今や五十州にいくつかの準州を加えた、独立当初より何倍も広い地域を支配し、中央政府の下にすべてを束ねるようになったことにあるようだ。1700年代後半に誕生して以来、強力な中央政府は、各州の独立性を大きく奪ってきた。

もし米政府が消滅し、その代わりに五十の「自由で独立した国」が誕生したらどうだろう。不満は解消されるだろうか。考えてみる価値はある。独立宣言は、長年にわたり続いた政府からの離脱は慎重に考えるべきだが、それが適切な行動である場合もあると語っている。

米国は「苦難を耐え忍ぶ」時を過ぎ、再び分離独立の時が来たのだろうか。その答えは人によって意見が分かれるだろうが、誰にも明らかなのは、州と自由を犠牲にして中央政府が握ってきた大きな権力と、多くの米国人の現状に対する不満を考えると、この問い自体が重要で、的を射ているということだ。

合衆国を解体し、真に「自由で独立した国」を取り戻すことは、重要な話題となるべきである。実際、今このテーマをオープンかつ十分に議論することは、分離独立を革命戦争(あるいは分離戦争)によってではなく、平和的に実現するための鍵となりうる。

(次より抄訳)
The Ron Paul Institute for Peace and Prosperity : American Secession [LINK]

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