2020-09-17

徳井義実への批判は庶民への課税強化を招く…そもそもこれほど重い税額は適正なのか?

お笑いコンビ「チュートリアル」の徳井義実さんの個人会社が、東京国税局から計約1億2000万円の申告漏れなどを指摘され、問題となった。徳井さんが所属する吉本興業は、徳井さんが当面の間、芸能活動を自粛すると発表。本人が事務所に申し入れたという。

いつものことだが、有名人の税逃れに対するメディアの非難はすさまじい。「文春オンライン」は「本当にふざけている」という東京国税局関係者のコメントを引用。元衆院議員でタレントの東国原英夫氏は昼の情報番組で「想像を絶するルーズさだ」と批判した後、税の申告を怠る無申告について「脱税と同じくらいの罪の重さにするべきだ」と持論を述べた。


もちろん納税を怠るのは違法だ。けれども徳井さんの場合、家の郵便ポストもろくに見ないという、天才肌の芸人らしい「ルーズ」さが原因であり、意図的に所得を隠そうとしたわけではない。極悪人のように叩かれ、芸能界から事実上追放されかねない事態に陥るとは、いささか度を越している。

税金を取るのは合法であっても、それが経済の活力を保つうえで適切な額かどうかは別問題だ。徳井さんに限らず、タレントの多くは収入が増えると個人会社を設立する。目的は節税だ。このこと自体、税の重さを物語っている。個人にかかる税が軽ければ、誰もわざわざ時間と費用をかけて節税目的の会社などつくらない。

本来なら本業にあてられる時間とお金を節税のために奪われているわけだ。これは何も芸能人だけの話ではなく、事業家をはじめ節税に励まざるをえない人すべてに言える。社会全体で無駄になる時間とお金は膨大で、経済的な損失は計り知れない。徳井さんのように仕事を自粛すれば、その分稼げなくなるから、結局税収も減ってしまう。


平安時代の税逃れ


そもそも国家が誕生して以来、人間の歴史は、税金を取る政府と取られまいとする市民のせめぎ合いだった。日本でもその例は枚挙にいとまがない。とくに興味深いのは、平安時代の地方社会だ。

奈良時代に成立した律令制は、国家による土地所有を基礎とした中央集権が特徴で、戸籍で人民を把握し、穀物や布、労役などによる税を課した。ところが8世紀の後半から、農村では税の負担を逃れようとして浮浪・逃亡する農民が相次ぐ。9世紀になると、税逃れのため戸籍に偽りの記載をする「偽籍」が増えていった。

たとえば、902年(延喜2年)に作成された「阿波国(あわのくに)戸籍」を見ると、男性よりも女性の数が圧倒的に多く、高齢者、とくに100歳以上の老人も少なくない。現在より衛生状態や医療が劣っているにもかかわらず、100歳以上が多いとは不自然だ。当時、女性は男性より税額が少なく兵役もない。また、60歳以上の者には税が課されなかった。税逃れのために、戸籍を偽造したのだ。

「荘園」と呼ばれる大規模な私有地も、免税を原動力として発達する。荘園の始まりは8世紀にさかのぼるが、租税の免除(不輸)を認められなかったこともあり、経営が不安定で、9世紀には衰退した。しかし荘園領主の権威を背景として、やがて政府から不輸の権を承認してもらう荘園が登場し、次第に増加する。荘園によって免税の恩恵を受けた代表は、庶民から税を取る立場の皇族や貴族である。

天皇の命によって諸国に設置された皇室領を勅旨田(ちょくしでん)といい、奈良時代から存在したが、9世紀以降に多く現れ、荘園化した。勅旨田は免税扱いとされ、経営には天皇の近臣があたったらしく、近臣が行政官である国司に任命される場合すらあった。この収入は天皇個人や皇室の運営費用にあてられたようだ。

天皇と親しい少数の皇族・貴族も、その立場を背景に多くの土地を私的に集積した。彼らは院宮王臣家(いんぐうおうしんけ)と呼ばれ、国家財政と衝突することも起こった。寺院も荘園を蓄積していった。

中央政府から派遣された国司、院宮王臣家、寺院などは互いに牽制し合いながら、保護を求める地方の有力農民を勢力下に取り込んでいった。今でいえば、富裕層が税の軽い国を求めて財産や住まいを移すようなものだ。

税逃れ横行の背景


平安時代のこうした税逃れ、特に庶民による税逃れは、必ずしも悪として断罪できない。それだけ厳しい税の取り立てに責められていたからだ。

国司のうち最上席の長は受領(ずりょう)と呼ばれた。受領は中央政府にとっての徴税請負人で、課税率をある程度自由に決めることもできたため、私腹を肥やし巨利をあげる強欲な者が多かったといわれる。

『今昔物語集』の説話で、「受領は倒るる所に土をつかめ」と言った信濃守藤原陳忠(のぶただ)の話は有名だ。誤って馬ごと崖から落ち、縄で引き上げられたときに、生えていたキノコを手にたくさん抱えて上ってきて、放った言葉である。

受領を望む貴族は多かった。理由はその収入の多さにある。清少納言の『枕草子』には、国司に任命されそうな人物の家に多くの人が集まり、任命を今か今かと待ち望んでいたものの、結局空振りに終わり、人々がすごすごと帰っていく姿が描かれている。

もちろん受領の潤沢な収入の源はすべて税だから、搾り取られる住民にとってはたまったものではない。搾取があまりにもひどく、住民から訴えられる受領もいた。988年(永延2年)に訴えられた尾張守藤原元命(もとなが)もその1人だ。訴状によれば、不当に高い利息を取り立てたり、法外に安い値段で産物を買い上げたり、田の面積を何倍にも算定して税を取ったり、京から連れてきた粗暴な家来どもが暴力で収奪を行ったりした。

元命は告発を受け、尾張守を解任されたが、やがて政界に復帰している。受領は一度その地位に就くと、蓄えた財物を使い、中央政府の支配層である皇族や貴族の歓心を買った。支配層の生活は受領なくして成り立たなかったから、受領の収奪をやめさせるという考えは乏しかった(川尻秋生『揺れ動く貴族社会』)。

平安時代の例が示すように、税逃れ横行の背景には必ず、重い税負担があるし、その税額が適正である保証はない。有名人の税逃れをメディアや評論家といっしょになって攻撃し、課税強化を唱えるのは正義感を満足させるかもしれないが、次に標的になるのは数の多い中間層だ。

<参考文献>
川尻秋生『揺れ動く貴族社会』(全集日本の歴史4)小学館
古瀬奈津子『摂関政治』(シリーズ日本古代史6)岩波新書

Business Journal 2019.12.08)

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