国家という政治形態が世界の隅々まで行き渡る現在、国家の外部で生きることなどありえないと私たちは信じている。しかし人類史の大部分において、それは現実的な選択肢だった。本書は東南アジアを舞台に、興味深い事実を詳細に描く。
「ゾミア」とはベトナム、カンボジア、ラオス、タイ、ビルマの5カ国と中国の4省を含む丘陵地帯を指す。ここには国民国家に統合されていない約一億の山地民が住む。彼らは税を払わず、相対的に自由で、国家をもたない人々である(p.19)。
山地民などの「野蛮人」は、原始からの生き残りだと一般に思われている。著者はそれに異を唱える。辺境民の生業、組織、文化は古代からの伝統や慣習ではなく、国家への編入や権力の集中を防ぐため、意図的に設計されたものだという(p.8)。
たとえば焼畑は水稲より古くて非効率というのは誤解にすぎない。焼畑民は鉄斧のおかげで開墾の労力が大幅に減ったし、ハーブや胡椒などの高級品を国際交易で売り、痩せた土地でも育つキャッサバなど新大陸産の作物も入手し栽培した(p.199)。
キャッサバなど根菜類・塊茎類の利点は軍隊や徴税人の収奪から安全なことだ。熟成した実は二年くらいまでならそのまま土の中に置いておけるから、略奪すべき穀物倉庫がなくて済む(p.198)。国家が管理しやすい定住民による稲作とは対照的だ。
「ゾミアが非国家圏であり続けるのもそう長くはないだろう」(p.ix)と著者はいう。しかし一方で、人類史上、国家は恒久不変のものではなく、形成と崩壊を反復してきたとも指摘する(p.7)。
納税や徴兵の負担が限界に達すると、人々は辺境や別の国家にすばやく逃げた。「民衆にとっては逃走という物理的行為こそが自由の源泉であり、逃避こそが国家権力に対する主要な抑制力であった」(p.33)
現代は国家の支配力が強まった半面、交通・通信手段が飛躍的に発展し、ある意味では国家から逃げるチャンスも広がっている。本書に示された「脱国家」の知恵があらためて注目される日は遠くないだろう。
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