2023-06-12

ロシアを悪とみなすな ケネディ演説の教訓

米誌ネーション発行人、カトリーナ・バンデン・ヒューベル
コラムニスト、ジェームズ・カーデン
(2023年6月9日)

米国のジョン・F・ケネディ大統領が、ワシントンにあるアメリカン大学のキャンパスで行われた卒業式で、冷戦と冷戦思考に対する痛烈な批判を述べてから、6月10日で60年になる。
その中でケネディは、核時代における平和のあり方について構想を語っている。

「我々はどのような平和を求めるのだろうか」とケネディは問いかけた。

米国の戦争兵器によって世界に強制されるパックス・アメリカーナではない。墓場の平和でも、奴隷の安全でもない。本物の平和だ。地上の生活を生き甲斐のあるものにし、人間や国家が成長し、希望を持ち、子供たちのためにより良い生活を築くことができるような平和だ。単に米国人のための平和ではなく、すべての男女のための平和、単に我々の時代における平和ではなく、あらゆる時代のための平和だ。

ケネディにとって核戦争の危機は、前年10月のキューバ危機で米国とソ連がその寸前まで迫るものだった。そのため敵対するソ連との平和を追求することが必須となった。しかしこのことは若い大統領を、自国の国家安全保障・軍事・情報体制と、おそらく致命的なまでに対立させることになった。

だがアメリカン大学でケネディは、健全で合理的、そして何よりも倫理的な冷戦政策を米国民に直接訴えかけた。

平和は理性ある人間の必要かつ理にかなった目的である。平和の追求は戦争の追求ほど劇的ではないと理解しているし、平和を求める者の言葉はしばしば耳に入らない。しかし、これほど緊急の課題はない。

そしてケネディは大統領就任後、国防総省と米中央情報局(CIA)を大いに困惑させながら、平和追求の最もありえないパートナーを見つけた。ソ連のニキータ・フルシチョフ(最高指導者)である。ケネディとフルシチョフは一連の米ソ危機(ピッグス湾、ウィーン・サミット、ベルリン危機)を通じて信頼関係を築き、キューバ・ミサイル危機の際には、人類を終末から遠ざけるのに貢献した。この危機の後、2人は核実験禁止条約に向けて動き始めた。

ケネディは、前進のためには、自分が見られたいと思うように相手を見ること、つまり共感が必要であることを理解した。

ケネディは言った。「どんな政府も社会制度も、その国民が美徳を欠くとみなさなければならないほど邪悪ではない」

だから違いに目を奪われることなく、共通の利益に注意を向け、違いを解決する手段にも目を向けよう。もし今、違いをなくすことができなくても、少なくとも多様性のために世界を安全にする手助けはできるはずだ。詰まるところ、我々の最も基本的な共通点は、全員がこの小さな惑星に住んでいるということだ。我々は皆、同じ空気を吸っている。我々は皆、子供たちの未来を大切に思っている。そして我々は皆、死すべき存在なのだ。

現在敵対するロシアに対するこのような考え方が、バイデン米政権の権力中枢に欠けているのは明らかだ。

実際ケネディの演説は、それから数十年の間に、最近の民主党政権がいかに間違った方向に進んできたかを示す重要な指標となるものだと思う。私たちはプーチン〔ロシア大統領〕の侵略をはっきり非難する一方で、戦争を防ぎ、終わらせる外交手段を追求しなかった米政権に心を痛めている。

今日私たちは、核兵器によるエスカレーション(激化)に近い状況に立たされている。米政権が自ら設定したレッドライン(越えてはならない一線)を無視し、ウクライナへのF16戦闘機の供与に同意することでタカ派に屈しているからだ。60年前のこの日に伝えられたケネディ大統領のメッセージが、何らかの形で政府内外の新しい世代に理解され、戦争と平和の行方に影響を与えることを願うばかりである。

What kind of peace do we seek? At 60, JFK's speech never gets old - Responsible Statecraft [LINK]

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