少なからぬ自由主義者(リバタリアン)は、無能な政府が教育や医療やインフラ整備を独占することは批判しても、なぜかもっと重要な外交や防衛に関しては、その同じ政府の独占をあっさり認めてしまう。ことに「自衛戦争」の話になると、完全に白旗を上げて、これはもう政府の出番だ、つべこべ言うのはやめようと口をつぐむ。
「不確か」な平和、だからこそ受け継ぐ 誓う人々 沖縄慰霊の日https://t.co/jyBl3486Zz
— 毎日新聞 (@mainichi) June 23, 2023
沖縄戦犠牲者の名前が刻まれた「平和の礎」には今年も遺族らが次々と訪れています。命を落とした家族の名前を手で触れ、平和を祈ります。#沖縄慰霊の日 #慰霊の日
しかし政府は、教育や医療やインフラ整備と同じく、「自衛戦争」においても無能である。その典型例を、現代史をまともに学んだ日本人なら知っているはずだ。アジア・太平洋戦争末期の沖縄戦である。
沖縄が6月23日、沖縄戦で犠牲になった人々を悼む「慰霊の日」を迎えたのを機に、大手各紙は社説で沖縄を取り上げた。
アジア・太平洋戦争には大きく、アジア諸国に対する侵略戦争という側面と、欧米諸国との植民地争奪戦争という二つの側面があるが、沖縄戦だけに限定すれば、日本を米軍の侵攻から守る「自衛戦争」だったとみることはできるだろう。
しかしその現実はどうだったか。毎日新聞の社説が述べるように、日米双方で約20万人が犠牲となり、うち一般住民の死者は約9万4000人に上った。「米軍の本土上陸を遅らせるため、沖縄での持久戦に持ち込もうとした旧日本軍の作戦が悲惨な結果を招いた」とされる。
日本政府は、時間を稼いであわよくば「天皇制護持」を条件とする和平交渉につなげようと、守るべき自国民である沖縄の人々を「捨て石」として使ったのだ。住民の中には、日本軍によって、戦火を避けていたガマ(自然の洞窟)を追い出されたり、「集団自決」に追い込まれたり、スパイ扱いされて殺された人々もいた。作家の故・司馬遼太郎氏は自分の軍隊経験に照らして、「軍隊はそれ自体を守るものであって、国民を守るものではない」と断言し、本土決戦が行われていたならば、沖縄と同じことが本土でも起こったであろうと述べている(新崎盛暉他『観光コースでない沖縄』)。
ところが司馬氏がかつて籍を置いた産経新聞は、「県民守り抜く決意新たに」と題し、玉城デニー知事に対し「中国や北朝鮮の脅威を直視し、政府や自衛隊と協力して県民を守り抜く態勢を整えてほしい」と注文をつけた。よく言えたものだ。
中国や北朝鮮を挑発していらざる「脅威」を招いているのは米国と日本だという事実はさておき、日本政府が沖縄県民や日本国民を「守り抜く」ことなどありえない。それは沖縄戦の歴史が証明しているし、司馬氏の言葉をもじっていうならば、政府はそれ自体を守るものであって、国民を守るものではないからだ。
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