イランと対立する米政府はしばしば、イランを厳しい表現で非難する。トランプ大統領は昨年の国連総会では、北朝鮮、シリア、ベネズエラと並べイランを「ならず者国家」と呼んだ。2002年の一般教書演説で当時のブッシュ大統領はイラク、北朝鮮とともにイランを「悪の枢軸」と批判している。
米政府の非難やそれに同調するメディアの報道に多く接していると、イランが西洋文明と相いれない特殊な国のように見えるかもしれない。しかし意外なことに、少なくとも歴史的には、イランは西洋文明と相いれないどころか、西洋文明の土台をつくったとさえ言えるのである。
古代オリエントでは紀元前612年のアッシリア滅亡後、メディアなど4王国が分立するが、それに終止符を打ち、オリエント世界を再び統一したのはペルシャ人(イラン人)だった。
ペルシャ人はインド・ヨーロッパ語系の民族で、イラン高原南部に移住してメディア王国に服属していた。前550年、キュロス2世はメディアの政権を奪取し、やがてリディア、新バビロニアをも征服し、アケメネス朝ペルシャ帝国を築く。アケメネス朝はその後、エジプトも併合して、ダレイオス1世の時代にはエーゲ海沿岸からインダス川流域に及ぶ広大な世界帝国となった。
ダレイオス1世は「諸王の王」と称し、新都ペルセポリスを建設して中央集権制を強化する。全土を20余州に分け、サトラップ(総督)を任命して徴税や治安維持を担わせるとともに、「王の目」「王の耳」と呼ばれる王直属の監察官を派遣して総督を監視させた。そのために「王の道」と呼ばれる公道を整備し、駅伝制を設け、王都と地方が直結する体制を整える。
注目したいのは、ペルシャ帝国は中央集権制を強化する一方で、服属した諸民族には寛容な政策を行ったことである。帝国内にはさまざまな民族が住んでいたが、これら被征服民の法や宗教は、軍役と貢納の義務が守られる限り尊重された。
古代ギリシャの歴史家ヘロドトスは著書『歴史』で「世界中でペルシャ人ほど外国の風習を取り入れる民族はない」と述べている。滅亡したアッシリアが強制移住などの圧政を敷く強圧的な王国だったのに対し、ペルシャは帝国各地の文化や宗教などの違いに寛容だった。
たとえばエジプトでは、ダレイオス1世は総督に命じ、エジプトの古くからの判例を集め、報告書にまとめさせた。それ以降、裁判官はこの報告書を踏まえて判決を下すようになる。ペルシャの法律を押しつけようとはしなかった。
しかもこのときまとめた報告書は、エジプトの国語である草書体エジプト語と、帝国全土で広く用いられていたアケメネス朝の公用語、アラム語で書かれた。アラム語は、ロバやラクダで隊商を組織し内陸貿易を行ったアラム人の言葉で、国際商業の共通語として西アジア一帯で用いられていた。ペルシャ人は自国語を無理に広めようともしなかったのである。
服属民に強制しなかったペルシャ語は、公式文書や碑文においてのみ使われた。ダレイオス1世は、現在のイラン西部にそびえる山の崖に掘られたベヒストゥーン碑文のほか、王宮が築かれたペルセポリス、自身の墓所の碑文に大量のペルシャ語を使用。その結果、最大級の古代ペルシャ語史料が現代に残された。
なお、ペルセポリスは前述のように、ダレイオス1世が造営を始め、数世代かけてつくられた首都である。帝国全土から職人を招集して荘厳な宮殿が築かれ、新年の儀式や諸民族による王への謁見、豪華絢爛な宴会などが行われた。のちにアレクサンドロス大王により宮殿は焼かれて廃墟となるが、宮殿跡は世界遺産に登録されている(本村凌二監修『30の「王」からよむ世界史』)。
ペルシャ帝国はユダヤ人に対しても寛容な政策を施した。前586年ごろ、新バビロニアのネブカドネザル2世はユダ王国を滅ぼし、住民をバビロンに連行する。バビロン捕囚といわれる出来事だ。その後、新バビロニアがアケメネス朝のキュロス2世に滅ぼされるのは前述のとおりだが、その際、キュロス2世は勅令を発してバビロンに捕囚されていたユダヤ人の帰還を許した。
さらに、エルサレムにおける神殿の再建を認め、ネブカドネザル2世が没収した神殿の器物返還を命じ、その費用をペルシャの国庫から支払うよう取り計らった。キュロス2世が戦没すると、神殿再建の工事は一時頓挫するが、ダレイオス1世があらためて再建を許すよう命じ、この目的達成のために銀と資材を授ける。こうした保護のおかげで工事は前進し、神殿はまもなく落成することになった。
旧約聖書では、キュロス2世が捕囚中のユダヤ人を解放し、エルサレム神殿の再建を許したことで、メシア(救世主)と讃えている。ユダヤ人が旧約聖書を編纂したのはアケメネス朝の支配時代と考えられるが、この時代、帝国内のどこでもユダヤ人たちは自由に自分たちの神を信じることができた。
キュロス2世のユダヤ人に対する寛容さは、ソクラテスの弟子で著作家のクセノフォンの著作『キュロスの教育』に取り上げられたのをはじめ、後世の西洋文明において理想の君主として称賛の的となる。
古代ペルシャが西洋文明に与えた影響はそれだけではない。ペルシャ人の信仰するゾロアスター教(拝火教)では、この世は光明神アフラマズダと暗黒神アーリマンがたえず抗争するが、善き人々の霊魂は最後の審判によって天国に導かれると説いた。この最後の審判や天国の観念は、その後のユダヤ教やキリスト教に大きな影響を及ぼすことになる。
古代ペルシャは次々と領土を広げ、広範な地域を大帝国として統制した。圧政が各民族の反発を招き、やがて崩壊したアッシリアと対照的に、寛容な支配体制を敷いたペルシャ帝国の時代は、およそ200年にわたって平和な状態が続く。その後も征服地域から引き継いだ諸政策はアレクサンドロス大王やローマ帝国の土台となり、後世に大きな影響を残す。
現代の大国である米国は、ペルシャ帝国の叡智に学び、強硬策ではなく、柔軟で懐の深い外交政策を展開してもらいたいものだ。
<参考文献>
ピエール・ブリアン、小川英雄訳『ペルシア帝国』(「知の再発見」双書)創元社
山田勝久他『ユーラシア文明とシルクロード——ペルシア帝国とアレクサンドロス大王の謎』雄山閣
小川英雄他『オリエント世界の発展』(世界の歴史 4)中公文庫
本村凌二監修、造事務所編著『30の「王」からよむ世界史』日経ビジネス人文庫
(某月刊誌への匿名寄稿に加筆・修正)
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