重税への怒りを詠う
平安時代の学者で政治家、菅原道真といえば、学問の神様として名高い。毎年正月になると、道真をまつる福岡県の太宰府天満宮は初詣の受験生でにぎわう。学者として異例の出世を遂げたが中傷のため太宰府に左遷され、失意のうちに死んだことから、死後、祟りをなしたという伝説もある。
しかし菅原道真がそれだけのエピソードで有名なことは、はなはだ残念だと著者は嘆く。道真は偉大な詩人でもあったからだ。それは単に多くの詩を残したとか、宮廷内で称賛される詩を書いたとかいう意味ではない。
道真は漢詩人として、重税に苦しむ庶民に同情・共感する詩を多く書き、為政者の不正・腐敗を弾劾する詩を残した。近代以前の日本において、このような政治的・社会的主題の詩は、道真の詩を除いてはまったく書かれなかったという。
道真がこれらの詩を書くきっかけとなったのは、讃岐国(現香川県)知事として送った4年間の地方生活だ。生まれて初めて、庶民の生活の苦難に満ちた実態に触れ、その見聞を詩にとどめた。
重税を逃れようと他国に逃れたが、どうにもならず舞い戻ってきた男。冬になっても薄い衣服で輸送に従事する馬丁。いつ釣れるかわからない魚を釣って租税を払おうとする漁師。「寒早十首」と題する連作で、重税に苦しむ貧しい人々を描いた。
高い地位にいる役人は、原理的に言って、ほとんどまったく、税に苦しむ貧者への同情・共感を持ちえなかった。なぜなら、まさにその税を取り立てる側の人間だからだ。その意味で道真は「ほとんど類例を見出せない役人であり、そしてまた詩人」だったと著者は記す。
テレビや雑誌で戦前の政治家が作った漢詩を見せ、「教養があった」などと感心して見せる企画がよくある。しかしそれらの詩の中に、菅原道真のように、税への怒りを詠ったものが果たしてどれだけあるだろうか。
真の教養とは、単に芸術の表面をなぞることにあるのではなく、そこで何を表現するかにある。そんなことも考えさせられる一冊だ。
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