自由への憎悪
リベラル派知識人の多くは安倍政権による改憲の企てを批判する。それには賛成だ。しかし彼らが本当に憲法を守りたいのか、疑問に感じる。憲法が擁護する個人の自由や権利を本音では憎んでいるとしか思えないからだ。本書でそれを痛感する。
対談者の内田樹と白井聡は、今の社会で消費者は企業によって意図的に幼稚にさせられ、どうでもいいモノを借金してまで買いまくるよう仕向けられていると話す。それでモノがどんどん売れるなら、経営不振になる企業はないはずだ。
白井は、若者は消費社会で「愚民化」され、スマホ製造の背後にある途上国での搾取に気づかないと批判する。しかしもし若者が軽薄な消費はいけないと反省し、スマホを買わなくなれば、企業は雇用を減らし、途上国の労働者は職を失う。
一方で白井は「持たざる者への再分配」を主張する。これは「持てる者」から財産を奪うことを意味する。課税という名の合法的搾取である。白井はそれに気づかない。これでは企業に「愚民化」され「搾取」に気づかない若者を笑えない。
内田は、高齢者が週刊誌でセックス記事を読むのは市場による「老人の幼稚化」だと言い、『徒然草』を引用し、「見苦し」いと非難する。誰にも迷惑をかけない性生活を貶めるような人物に、本気で自由を守る気があるとは信じられない。
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