アウグスティヌス『神の国』の挿話で、アレクサンダー大王に捕らわれ、掠奪を責められた海賊が「同じことを俺は小さな船でやり、お前は大きな船でやるだけの話」と反論する。ロングセラー絵本の本書でも、同様の真実が描かれる。
源平の時代、陸奥の国。貧しい百姓の末っ子に生まれた九郎次は、何よりも馬を愛した。南部の宿で馬子として働きながら考える。「馬であろうと、牛であろうと、人間に使われて苦しむために、この世にうまれてくるわけがない」(p.21)
宿は侍のためにある。宿の馬を使うのは侍だけだ。「見たこともきいたこともないさむらいたちが、おれたちのしらぬどこかでいくさをして、勝った負けたで天下をとる」(p.24)。考えてみればみるほど、不思議なことだと九郎次は思う。
やがて九郎次は理解する。「平家であろうと、源氏であろうと、どっちも百姓から年貢をとるのだ」(同)。百姓が課役にへたばって倒れても、馬を貸してやれという侍は一人もない。馬を戦の道具としか考えず、人殺しの一本道に駆り立てる。
鎌倉の源頼朝が捕えた野生馬に、九郎次の最も愛する「九郎」がいた。馬盗人となっていた九郎次は九郎を救おうとしてつかまり、言い残す。自分と頼朝大将のどちらが本当の盗人か――(p.60)。この問いに、私たちは正しく答えられるだろうか。
雄渾な文章を綴った作話の平塚武二はすでに1971年に他界し、作画の太田大八も今月97歳で死去した。初版から半世紀近く読み継がれてきた本書が、これからも多くの子供や大人に親しまれてほしい。
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