2022-07-08

民主主義の何がそんなにすばらしいのか?

作家、ジェイコブ・ホーンバーガー
(2022年6月22日)

先日ロサンゼルスで開催された米州首脳会議で、バイデン米大統領はキューバ、ベネズエラ、ニカラグアの出席を拒否した。民主主義国ではないからだ。過去数十年間、米政府は民主主義を合言葉にしてきた。まるで民主主義が神聖なものであるかのように。

しかし、民主主義の何がそんなにすばらしいのだろう。民主主義とは、支配者が自分自身を選ぶのではなく、人々が投票によって支配者を選ぶことにほかならない。有権者の何がそんなに神聖なのだろう。米当局が広める考えによれば、有権者はあたかもつねに聖人を選ぶかのように、最善の人物を選んで公職に就かせる。

ウォーターゲート事件から五十年ということで、犯罪行為で退陣に追い込まれたリチャード・ニクソン大統領に民主主義のテストを適用してみたらどうだろう。

そしてニクソンの前任者、リンドン・ジョンソンである。亡くなって何年も経ってから、1948年の上院議員選挙で不正を働いて当選したと判明した。もしジョンソンがテキサス州南部の郡で取り巻きに違法な投票をさせなければ、その選挙で負けていただろうし、大統領になることも決してなかっただろう。

ドナルド・トランプの支持者は、バイデンを、有権者が誰を大統領に選ぶかで重大な間違いを犯しうるもう一つの例に挙げる。バイデン支持者もトランプについて同じことを言う。実際、バイデン支持者は、有権者がトランプに再び投票する機会を与えないよう、トランプが再び立候補することを禁じる法律を利用しようと、あらゆる手段を講じている。

民主主義はしばしば、自由の概念と混同される。もしある体制が民主的であれば、国民が自由であることを示すという議論だ。

おかしな話だ。自由は、人々が支配者をどのように選ぶかとは何の関係もない。米州首脳会議で注目された中南米の人々は、四年か六年ごとに独裁者を選ぶ自由があるとよく言われるが、それは正しい。支配者が独裁権力を行使しているからである。最も多い票を得た者が独裁者になれるのだ。

民主主義は合衆国憲法に書かれてさえいない。憲法制定者はよくわかっていた。民主主義は自由と異なるだけでなく、実際には自由に対する重大な脅威となることを理解していた。だからこそ連邦政府の権限を厳しく制限したのである。民主主義から国民を守るために、権利章典(合衆国憲法の人権保障規定)の制定を求めたのもそのためだ。

米連邦政府の安全保障国家への転換は、すべてを変えてしまった。政府の安全保障部門、すなわち国防総省、中央情報局(CIA)、国家安全保障局(NSA)に全能の権力が与えられたのだ。キューバ、ベネズエラ、ニカラグアのような全体主義の独裁政権が行使するのと同種の権力である。その権力には暗殺、拷問、無期限拘留などが含まれる。

こうして米国は、一部の公務員の権限はまだかなり制限されているものの、連邦政府の一部門全体が全能かつ全体主義的な暗黒の権力を振るう体制に成り果てた。その政府の一部門、つまり安全保障部門は、選挙で選ばれていない人々だけで構成されている。

民主主義の唯一の利点は、暴力革命なしに支配者や体制を変えられることにある。しかし、それは自由を保証するものではないし、実際、しばしば自由を破壊する。真の自由は、公職に就く者の権力を制限することにある。人々がどのように公職に就くかにあるのではない。

(次より抄訳)
The Ron Paul Institute for Peace and Prosperity : What’s So Great About Democracy? [LINK]

0 件のコメント: