経済学者、マレー・ロスバード
(1987年)
レーガン(米大統領、当時)の支持者が恥ずかしげもなく成功したと主張する、数少ない分野の一つが税制である。レーガン政権は1981年に所得税を削減し、1986年の税制改革で減税と「公平性」を実現したのではなかったか。ロナルド・レーガンは反対を押し切って、あらゆる増税に反対する立場を貫いたのではなかったか。
Everyone seems to agree that Reagan slashed the size and scope of government. Murray N. Rothbard exposes the truth.https://t.co/sf0cobfydf
— Mises Institute (@mises) February 10, 2022
答えは、残念ながら「ノー」である。そもそも、1981年の有名な「減税」は、まったく減税になっていない。たしかに高所得者層の税率は下がったが、一般庶民にとっては減税どころか増税である。というのも、所得税率の引き下げは全体として、二つの増税によって相殺されてしまったからである。
一つは「ブラケットクリープ」と呼ばれ、インフレの進行によって(名目所得が増え)、高い税率が適用されることになるものだ。もう一つは社会保障税である。社会保障税は増加の一途をたどり、増税を助長している。
1981年の減税は、実際には減税ではなかったが、さらにそれ以来、レーガン政権の承認を得て、毎年増税が行われてきた。しかし、大統領の美辞麗句を守るために、増税とは呼ばれなかった。その代わり、「手数料の引き上げ」「抜け穴をふさぐ」「国税庁の執行強化」「歳入強化」など、巧妙なレッテルを貼ったのだ。
1986年に大々的に発表された税制「改革」法は、経済的に健全であると同時に「公平」「歳入中立」とされた。しかし現実はまったく違っていた。政権は国税庁ですら理解できないほど税法を複雑化させることに成功し、税理士や弁護士は今後何年も困惑し続けることになるのである。
増税だけでなく、ビジネス経費の食事代が80%しか控除されなくなったことで、ビジネスコストが大幅に上昇した。また、不動産の節税手段が封じられ増税になっただけでなく、増税の多くが遡及適用され、事後的に巨額のペナルティーが課されることになった。これは合衆国憲法が禁じる事後立法である。憲法は、完全に合法であった時期の行為をさかのぼって犯罪にすることを禁じているのである。
しかし、税金の問題で肝心なのは、レーガン時代に政府の税収は全体としてどうだったのか、ということである。レーガン時代に、連邦政府が米国民から搾取した税金の額は増えたのか、それとも減ったのか。カーター政権最後の年である1980年の連邦税収は5170億ドルであった。1986年には7690億ドルとなり、49%の増収となった。減税には見えない。
国民総生産(GNP)に占める税金の割合はどうだろうか。カーター政権最後の年とほぼ同じで、ごくわずかな減少である。GNPに占める税金の割合は18.9%から18.3%へ、民間純生産に占める税金の割合は27.2%から26.6%へ低下している。絶対的な増税と、国民総生産に占める税金の割合がほぼ同じであることをもって、レーガン時代の大幅な減税に喝采を送るのは無理がある。
(次より抄訳)
The Myths of Reaganomics | Mises Institute [LINK]
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