右翼と左翼は、著者が述べるように、目指す方向が違うだけで、どちらも全体主義に近い。右翼と左翼を水で薄めた右派と左派も本質は同じはずだ。ところが著者は、左派だけは全体主義でなく個人主義に近いと主張する。それはおかしい。
著者が代弁する左派の主張はこうだ。「金持ちからとった税金を低所得者層にまわす再分配政策に力を入れてもらってだな、格差をできるだけ小さくしてさ、貧困対策もしっかりやってもらってさ、高校や大学の学費なんか無料にしてほしい」
この主張の一体どこが個人主義だろうか。全体の利益のために、金持ちという一部の個人を犠牲にする全体主義ではないか。それとも左派にとって、金持ちは個人のうちに入らないのだろうか。だとすればレーニンや北一輝と発想は変わらない。
著者は個人主義を擁護すると言いつつ、個人を守るうえで欠かせない、私有財産権や法の下の平等をないがしろにする。これでは国家権力と戦えない。インフレ税で財産権を侵すアベノミクスを称賛するのは、著者の議論の頼りなさを示す。
国家権力は放っておくと必ず全体主義に近づくから個人主義は大切だ、という著者の認識は正しい。ところが民主主義は個人主義に基づく制度だと著者は書く。民主主義で選ばれた権力は立派な国家権力なのだから、必ず全体主義に近づくはずだ。
個人主義でなく全体主義に近い点で、左派は右派と変わらない。全体主義を防ぐカギは、財産権と法の下の平等にある。それを理解しない限り、政府に対する有効な批判はできないし、個人の生活を守ることもできない。
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