行動経済学の逆襲 (早川書房)
自由を奪う「自由主義」
昔の経済学者は政府に対峙し、財産権の侵害や経済的自由の束縛を批判したものだった。しかし今の経済学者は進んで政府に協力し、個人の自由を奪おうとする。これは主流派だけでなく、「異端」とされる経済学者の大半にもあてはまる。
著者セイラーもその一人だ。彼は自分の立場を「リバタリアン・パターナリズム」と呼ぶ。直訳すれば、自由主義的な温情主義。自分が専門とする行動経済学の知見を生かせば、人々に強制することなく、よい意思決定を助けられるという。
英国の徴税当局が税滞納者から未納金を徴収しようと、助言を求めてきた。コストはかけたくない。そこでセイラーらは実地実験で、督促状に「ごく少数の方が税金を期限内に支払っておられず、あなたはその1人です」などの文を加えた。
人々をあるルールに従わせたいなら、他のほとんどの人はそうしていると告げることが有効だからという。実際、23日間で最大900万ポンド(約13億円)の税収をもたらした。セイラーは「とてもコスト効果の高い戦略」と自賛する。
しかしセイラーは忘れている。督促状は納税を強制しなくても、結局のところ納税は強制だから人は支払うのだ。しかも巧みな脅し文句によって、より多くの財産を召し上げられる。納税者にとって「よい意思決定」と呼ぶのは無理がある。
他に例示される駐車違反にしろ臓器提供にしろ、セイラーはつねに政府の仕事を手伝うという態度で助言し、そもそも政府にその仕事を任せるべきかどうかについてほとんど疑いを投げかけない。
もしこれが行動経済学の本質なら、政府に重宝されるのも当然だ。主流派だけでなく、異端までが喜々として権力の侍女を務める現代経済学の病は膏肓に入ったといわなければならない。
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