2016年6月11日土曜日

〔本〕『世界史の中のパレスチナ問題』


近代国家の災厄

イスラエルとパレスチナの対立は聖書時代に遡る宿命などではない。国民国家という近代の産物がもたらした災厄である。領域・人民に排他的な統治権を及ぼす近代国家の特殊性と問題性が浮き彫りに。

<抜粋>
「アラビア語を話しているユダヤ教徒」が存在したということは、この(アラブとイスラエルの)民族的な対立がけっして「二〇〇〇年以来の宿命の対立」などの聖書時代以来のものではなく、アラブ人やユダヤ人という民族意識が近代になってナショナリズムのイデオロギーのおかげで形成されたためなのです。(p.41)

もし複雑な社会構成をもつアラブ社会を上から統合して、画一化の方向にもっていこうとしたら、強圧的な手段を使わざるを得なくなるわけです。このことがしばしば独立直後に少数派の弾圧、あるいは場合によっては政府レベルによる大量虐殺につながってしまうことになります。これは多民族・他宗派国家の悲劇ではありますが、国民国家モデルではけっして問題の解決につながらないことを意味します。(p.49)

敬虔なユダヤ教徒たちからすれば、信仰の観点からは聖域に入ることを神によって禁止されているのであり、物理的な土地という〈場〉はメシア(救世主)の来臨という観点からほとんど問題にならなかったのです。だからこそ、前近代においてユダヤ教徒はこの聖地エルサレムを排他的に占拠するということは考えていなかったために、聖地をめぐる争いが現在のような形の「領土問題」的な紛争としては顕在化することはなかったのです。(p.56)

「ユダヤ人」と分類される人びとの中には、ユダヤ教徒であってもアラビア語を話していて自分のことをアラブ人だとみなしている人も当然いるわけですが、そのようなユダヤ教徒であり、同時にアラブ人であるという存在のあり方が、「非ユダヤ人諸コミュニティ」という表現を使うことでバルフォア宣言によって否定されてしまったのです。(p.182)

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