1978年のモンペルラン協会会合でミルトン・フリードマン(Milton Friedman’)は、貨幣に政府の介入は避けられず、経済学者の正しい役割は賢明な介入を擁護することだと述べた。貨幣の脱国営化しか正解がないと信じれば「失敗は必至」だと強調した。
するとハイエク(F.A. Hayek)が立ち上がり、歴史上、金本位制だけが政府に対する唯一の抑制だったと発言。貨幣に関するあらゆる独占と政府支配に反対する持論を繰り返した。ハイエクによれば、貨幣発行の民営化こそ唯一の答えである。
フリードマンは1980年代、ハイエクの貨幣脱国営化論(denationalization)に近づく。1984年の記事で、中央銀行の金融負債凍結、金融政策委員会の廃止とともに、通貨発行への民間競争導入を提言し、国民の通貨需要の伸びに応えるよう求めた。
フリードマンが考えを改めたきっかけは、経済学者ロコフ(Hugh Rockoff)らの研究で、民間貨幣が詐欺に使われやすい事実はないとわかったことと、公共選択論が明らかにしたとおり、中央銀行はあらゆるルールをかいくぐろうとすると実感したことだ。
1986年、フリードマンはシュワルツ(Anna Schwartz)と共同執筆した記事で、タイトルにある問題を掲げ、より古典的自由主義に沿った回答を示そうとした。そのタイトルは「政府が貨幣に果たすべき役割はあるか」といった。
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