「理屈と膏薬はどこへでも付く」という。筋の通らない屁理屈でも、とりえあずもっともらしく述べることはできる。しかし読者をあまり馬鹿にしないほうがいい。たとえ若い中高生でも、いい加減な話に騙される人ばかりではない。
著者は「交換をするのは、交換によって有用な財が手に入るからではなく、交換することそれ自体が愉しいから」と書く。もしそうなら、人は買った物をすべて店のゴミ箱に捨てて帰るはずだ。しかしもちろん、そんな人はめったにいない。
オランダ人がビーズ玉と交換にインディアンからマンハッタン島を手に入れた逸話について、著者は「これは愉しいですよね、オランダ人にしてみたら」と述べる。交換の愉しみは有用な財の入手とは無関係というさっきの主張と矛盾する。
原始時代の交換について著者は、魚を食べたことのない山の民が「魚で不足がちのたんぱく質を補給しなきゃね」なんて思うはずがないという。だが人間は栄養学の知識がなくても、栄養のある食物には色や匂いで本能的に食欲を感じる。
著者は商品が継続的に買われるためには、300万円のロレックスの時計のように、値段の根拠が不明確でなければならないという。もしそうなら、値段の根拠が明確な例として挙げられた1万円のスウォッチは市場から消えているはずだ。
少し考えればぼろの出るおかしな主張ばかり。先生、えらいと思ってほしければ、もう少しがんばって。
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