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2025-12-05

略奪としての戦争

この文章(フレデリック・バスティアの『経済的調和』からの抜粋)は、戦争を「略奪(Spoliation)」の究極的な形態として定義し、生産活動と対比させながら、その経済的・道徳的な悪影響を論じたものです。

以下に主要な論点を要約します。


🗡️ 戦争と略奪の定義

1. 生存手段の二つの源泉

人間(および国家)が生存手段を得る方法は、本質的に以下の二つしかありません。

  • 生産(Production): 創造すること(狩猟、農業、製造など)。これは自然の法則を支配することを目指します。

  • 略奪(Spoliation): 盗むこと(暴力、詐欺、戦争など)。これは他の人間を支配することを目指します。

2. 象徴と本質

  • 生産の象徴は、豊かさをもたらす鋤(すき)に作り変えられた鉄です。生産は、他者から何も奪うことなく無限に富を増大させることが可能です。

  • 略奪の象徴は、破壊をもたらす剣(つるぎ)に作り変えられた鉄です。略奪は、労働が生み出したものを単に移動させるだけであり、一方が満足を得るためには、必ずもう一方に対応する剥奪(privation)を強いることになります。


🧠 略奪(戦争)の根源と経済的損失

3. 戦争の起源

人間は生来、「幸福への欲求」と「苦痛(労働)の回避」という自己利益(self-interest)に基づいて行動します。

  • 労働(生産のための努力)はそれ自体が苦痛であり、人間はこれを避けようとします。

  • 他人の労働によって生産された成果を、自分が労苦を負わずに手に入れることができると気づいたとき、略奪が問題の解決策として提示されます。これが戦争の根源です。

4. 社会的エネルギーの絶対的損失

略奪は、社会全体にとって純粋な損失をもたらします。

  • 略奪者側の損失: 略奪行為そのもの(武装、計画)にも努力が必要であり、それは生産活動に使えたはずの労力を浪費します。

  • 生産者側の損失: 被害を防ぐための防御策(武器、要塞、訓練)にも労力が費やされ、これもまた社会全体にとっては永遠に失われた労働となります。

  • 最終的に、生産者が略奪に抵抗できないと判断した場合、生産そのものが放棄され、損失はさらに拡大します。


🏛️ 社会的・道徳的影響

5. 価値観の転倒

略奪が恒常的になると(征服者と被征服者の関係など)、社会の道徳的基盤が歪みます。

  • 征服者(略奪者)は、余暇、富、芸術、軍事パレードといった「魅力的なもの」を独占します。

  • その結果、世論は、勤勉な労働者よりも、兵士(略奪者)の生活を称賛し、産業よりも戦争を好むようになります。 被征服者でさえ、最終的には支配者の価値観を模倣しようとします。

6. 結論

戦争は一過性のものではなく、歴史上普遍的に存在し、奴隷制度や貴族制といった社会構造の原因となってきました。略奪は人類の自然な進歩を阻害する「妨げ」ですが、人間社会の調和を達成するためには、長期的には「生産」が「略奪」を克服することが必要であると筆者は主張しています。

(Geminiを利用)
War as Spoliation | Mises Institute [LINK]

2025-12-04

ロスバードの国際関係論

マレー・ロスバードの国際関係論と国家に関する理論の要点は、彼の国家に対するリバタリアン的見解から導き出された、国家の性質と行動に関する記述的分析にあります。

この理論は、国家間の行動を理解するための枠組みを提供しており、その主な特徴は以下の4点に集約されます。


🧐 ロスバードの国際関係論の主要な特徴

ロスバードの国際システムの記述は、国家とその外交政策に関する以下の4つの主要な信条によって特徴づけられます。

1. 国際システムは無政府状態(Anarchic)である

  • 現代の世界において、各地域は国家組織によって統治されていますが、全世界を統治する超国家は存在しません。

  • 各国は自国領域内での暴力の独占を持っていますが、国家間では「無政府状態」が存在します。

  • 国家は本質的に強制の上に築かれた制度であるため、国家に支配される国際システムは部分的に暴力によって特徴づけられます。

  • 国家は自国の利益と保全に焦点を当てるため、国際協力は国家自身に利益がある場合にのみ行われます。

2. 政府は少数支配エリートによって運営されている

  • ロスバードにとって、「私たち」は政府ではなく、政府は私たちを正確には「代表していない」という古典的な自由主義の搾取理論が中心です。

  • 国家の正常かつ継続的な状態は寡頭制支配であり、これは国家機構の支配権を獲得した強制的なエリートによる支配です。

  • この寡頭支配は、民主主義の制度の有無にかかわらず真実であり、外交政策の決定は支配エリートによって行われます。

  • 民主主義と独裁の違いは、戦争遂行において、前者のほうが国民の承認を得るためにより集中的なプロパガンダを必要とすることだけです。

3. 国家は自己保全と勢力拡大を目指す

  • 国家は搾取的エリートによって支配されているため、支配階級は自らの権力と富を維持する手段として、国家の保全を最優先します。

  • 戦争と平和に関する事項は支配階級にとって非常に重要であり、彼らは一般納税者を意思決定プロセスから排除するために秘密主義を利用します(例:CIAなどの影の機関)。

  • 国家が最も恐れるのは、他国による征服か、自国民による革命という、自らの権力と存在への根本的な脅威です。

  • 国家は、他国に対して領土と権力を拡大するために征服を追求する傾向があります。ある領土に対する完全な支配は、他国の排除によってのみ達成されるため、国家間には固有の利害の対立が存在します。

  • 戦争は国家に大きな利益をもたらす可能性がある一方で、失敗すれば悲惨な結果を招くため、常に戦争を追求するわけではなく、リスクが高すぎると認識された場合は現状維持を選択します。

4. 戦争はしばしば国内政策の道具である

  • 国家は対外的な勢力拡大の手段としてだけでなく、国内での権力強化の手段としても他国との戦争を利用します。

  • 例えば、第一次世界大戦は、アメリカ合衆国における進歩主義の集大成として、社会主義的な中央計画連邦警察権力を拡大する機会を国家に提供しました。

  • 冷戦終結後の米国のように、弱小国や遠方の国に対する戦争は、国家にとって比較的「安全」な方法で国内の権力を拡大する手段を提供します。


結論

ロスバードの見解は、国際システムは自己利益を追求する支配階級によってコントロールされる国家から構成されており、これが現実のあり方であると示しています。彼は、平和と人権の追求は、国際戦争、軍拡競争、徴兵制、警察国家など、国家の戦争遂行能力を高めるあらゆる制度や戦略に対する一貫した反対を必要とすると主張しています。

(Geminiを利用)
Rothbard’s Theory of International Relations and the State | Mises Institute [LINK]

2025-12-03

市場経済への真の脅威

この記事は、現代の米国経済システムにおける最大の脅威は社会主義ではなく、政府に結びついた億万長者による経済的ファシズム(縁故資本主義)であると主張しています。

📌 主要な論点

  1. 経済的ファシズムの定義と本質:

    • 古典的自由主義者ジョン・T・フリンの定義に基づき、ファシズムは「政府がその権力に制限を認めない(全体主義)」「独裁者によって運営される」「資本主義システムを機能させるために組織される」社会組織の形態であるとしています。

    • 経済的ファシズムは社会主義ではなく、資本主義の一形態であり、私有財産に根ざしています。

    • 現在の米国の問題は、縁故主義、ファシズム、コーポラティズム、金権政治(プルートクラシー)などと表現される、寄生的な億万長者によって堕落した資本主義です。

  2. 社会主義は現実的な脅威ではない:

    • 社会主義は「生産手段の政府所有」と定義されており、今日の米国経済に対する差し迫った、深刻な脅威ではありません。

    • 億万長者ロビーは、補助金、政府契約、市場を制限する規制を通じて利益を保証したいがために、社会主義を仮想敵として利用し、世間の目をそらさせています。

  3. 億万長者による経済への悪影響:

    • ワシントンDCの資本主義推進派の言説は、見せかけの「反社会主義」闘争に終始し、真の脅威であるファシズム的な資本主義にエネルギーをほとんど費やしていません。

    • 政治と結びついた企業への補助金や税制優遇は、一般市民の負担を増やし、市場を歪めています(例:イーロン・マスク氏が受け取った多額の公的資金)。

    • 米国の富豪の多くは連邦政府や地方政府と巨額の契約を結んでおり、彼らが税金を「払いすぎている」のではなく、「税金を取りすぎている」ことが問題です。

    • オバマケア(医療改革)の例では、ポピュラーな社会主義的公的選択肢は実現せず、代わりに保険会社の利益を保証する「私的な」取引所システムが、社会主義医療の国々よりもはるかに非効率で高コストな結果を生み出しました。これは、縁故資本主義が社会主義よりも経済的に破壊的になり得ることを示しています。

  4. リバタリアンへの提言:

    • 「気に入らないものは全て社会主義」というレトリックは、真の問題を見えなくしています。

    • リバタリアンは、幻の敵である社会主義と戦うのではなく、政府の恩恵にあずかっている億万長者と経済的ファシズムという現実の脅威に焦点を当てるべきです。

    • この焦点を変えることで、彼らのメッセージは米国の労働者階級(有権者)の共感を呼ぶ可能性が高まります。


(Geminiを利用)
Billionaires, Not Socialists, Are the Biggest Threat to the Free Market | The Libertarian Institute [LINK]

2025-12-02

戦争の正当性

マレー・ロスバードによるこの文章は、戦争の正当性(Just War) の概念について論じたものであり、特に古典的な国際自然法の伝統と、第一次世界大戦(1914年)以降に支配的となった現代の国際法とを対比させています。

著者の戦争に対する基本的な見解と、米国の歴史における「正当な戦争」の特定、そして現代における「集団安全保障」や「人道的介入」への批判が中心的な内容です。


💡 著者の戦争観

  • 正当な戦争:ある民族が、別の民族による強制的な支配の脅威をかわそうとする場合、または既に存在する支配を打倒しようとする場合に存在する。

  • 不正な戦争:ある民族が、別の民族に支配を課そうとする場合、または既に存在する強制的な支配を維持しようとする場合に存在する。

  • 戦争と国家の権力:著者は、第一次世界大戦時のランドルフ・ボーンの言葉を引用し、戦争は常に「国家の健康(the health of the State)」であり、国家権力を拡大し、市民の自由と繁栄を犠牲にする手段であると主張しています。


🇺🇸 米国の「正当な戦争」

著者は、米国の歴史上、「明白かつ疑いようのない」 正当な戦争は以下の二つだけであると断言しています。

  1. アメリカ独立革命(American Revolution):アメリカ人が英国による望まない支配を排除しようとした戦争。

  2. 南部独立のための戦争(War for Southern Independence) (南北戦争における南部側の主張):南部諸州が、連邦政府による強制的な支配から離脱(脱退)しようとした戦争。

著者は、南部が連邦から脱退し、新しい連合を形成したことは、アメリカ独立革命と同じく「政治的絆を解消する」権利を行使した正当な行為であると主張し、リンカーンによる北部側(War of Northern Aggression)の戦争を不正な侵略であると見なしています。


⚖️ 古典的な国際自然法 vs. 現代の国際法

🏛️ 古典的な国際自然法(16世紀~19世紀)

  • 目的:戦争を廃止するのではなく、制限し、抑制すること。文明による制約を課すこと。

  • 核心的な原則

    1. 非戦闘員(民間人)を標的にしない:戦争は統治者とその軍隊の間で行うべきであり、民間人を可能な限り関与させない。

    2. 中立国の権利を保護する:中立は正当化されるだけでなく、積極的な美徳と見なされた。「中立を守る」ことは高い政治的手腕の証だった。交戦国は中立国による敵国への「禁制品」(武器弾薬に厳密に定義されたもの)以外の物資輸送に干渉できなかった。

🌐 現代の国際法(1914年以降)

  • 提唱者:国際連盟や国連の支持者たち、特にウッドロー・ウィルソンの外交政策とビジョン。

  • 特徴:戦争の制限ではなく、「戦争の廃止」 や「侵略の撲滅」を目指し、結果的に「永久平和のための永久戦争」という逆説的な結果を生んでいると批判されています。

  • ウィルソン流の正当化

    1. 「侵略に対する集団安全保障」:全ての戦争には「侵略者」と「犠牲者」がおり、国際社会は侵略者を特定し、「国際警察」として共同で対処する道徳的義務があるとする考え。しかし、現実には原因が複雑に絡み合い、単純な侵略者特定は困難であると批判。

    2. 「民主主義と人権の強制」:世界中に「民主主義」と「人権」を強制することが、米国および全ての国の道徳的義務であるとするユートピア的な考え。ソマリア介入(純粋な人道的介入の試み)をその失敗例として挙げています。


🔪 人道主義者とギロチン

  • 著者は、イザベル・パターソンの言葉を引用し、「人道主義者(humanitarian)はギロチンを持ったテロリストになる」 と警鐘を鳴らしています。

  • 人道主義者は、他者の生活における「主動力」たろうとし、人々が自らを助ける力を認めない。彼らが「他者のためになる」と考えることを、強制的に実現しようとする時、「ギロチンを設置する」 ことになる。

  • 南北戦争における北部の奴隷制度反対も、この「ギロチンを持った人道主義」の一例として批判されており、大量殺戮と破壊を正当化するために、熱狂的な千年王国主義的な道徳的原理が用いられたと論じています。


🛡️ 権利の普遍性と行使の地域性

  • 自然権の強制:たとえ普遍的な自然権が存在し、他国でその権利侵害(例:ルワンダでの虐殺)があっても、他のいかなる国にも介入する道徳的義務は生じないというのが古典的な自然法学者の見解であると指摘。

  • スローガン「権利は普遍的であっても、その強制は地域的であるべきだ」(Rights may be universal, but their enforcement must be local)。権利を守る責任は、その権利を持つ人々の「自分たちだけ」(Sinn Fein) にあるべきだとしています。


この記事は、戦争の道徳的・法的な評価において、個人の自由、契約理論、そして国家権力への懐疑を重視するリバタリアン的視点が強く反映されています。

(Geminiを利用)
Just War | Mises Institute [LINK]

2025-12-01

仏教と政治権力

今回は仏教について、政治権力に対する考えを中心にみていこう。

紀元前5世紀ごろのインドでは、商工業の発達を背景に、都市を中心とした小国家が形成された。富を蓄積した王侯・商工業者の力が強まり、バラモン教にもとづく身分制度で最上級とされるバラモン(祭官)の権勢は衰えていった。こうした社会変動のなか、新たな教えを説く自由思想家たちが登場する。その1人が仏教の開祖ガウタマ・シッダールタであった。

ガウタマは、現在のネパール領でヒマラヤ山麓に近い釈迦族の部族国家に王子として生まれた。恵まれた生い立ちながら、生まれつき内省的で、早くから人生の問題に悩んだといわれる。結婚し一男を得るが、悩みの解決を求める気持ちは抑えがたく、出家する。

はじめ師について瞑想を学び、のち断食など様々な苦行に励んだが、悩みの解決には至らなかった。35歳のとき、苦行の虚しさを知って断食をやめ、とある大樹の下で端座し、瞑想に入った。ある朝、心に大きなひらめきが起こり、目の前に真理(ダルマ、法)があらわになったと感じて、悩みはついに消滅した。以後、「(真理に)目覚めた者」としてブッダ(仏陀)と呼ばれた。

このあと最初の説法(初転法輪)を行なってから80歳で亡くなるまで、ブッダは生涯をかけて自らが体得した真理を説き続け、やがて教団が形成された。生前のブッダの言葉をまとめたものが経典である。

ガウタマによれば、老い、病み、死を迎えることは端的な苦しみであり、それらが避けられない以上、生まれてきたこと自体が苦しみなのである。これが生・病・老・死の四苦である。さらに、愛別離苦(愛する者との別れ)、怨憎会苦(憎い者との出会い)、求不得苦(欲しいものが手に入らない)、五蘊盛苦(心身の活動それ自体)の四つの苦しみを加えて、八苦ともいう(四苦八苦)。

ガウタマは、ブッダとなった後、苦をめぐる思想と涅槃(安らぎの境地)に至る方法を簡潔にまとめた。それが四諦・八正道である。

四諦(四つの真理)とは、①苦諦(人生は苦)、②集諦(苦の原因は煩悩)、③滅諦(涅槃が理想の境地)、④道諦(涅槃に至る正しい修行法は八正道)の四つである。

八正道とは八つの修行法のことであり、正見(正しい見解)、正思(正しい心のもち方)、正語(正しい言葉)、正業(正しい行為)、正命(正しい生活)、正精進(正しい努力)、正念(正しい気づき)、正定(正しい精神統一)から成る。

八正道のうち、世俗の政治権力との関わりでとくに注目されるのは、正業である。この言葉が指す正しい行為とは、具体的には、殺生や盗みをしないことである。これは、出家をしない在家の信者が守るべき戒律である五戒にも含まれている。すなわち、不殺生(殺生をしない)、不偸盗(盗みをしない)である。ちなみに、他の三つは不邪淫(婚姻外性交をしない)、不妄語(虚言をいわない)、不飲酒(酒を飲まない)である。

仏教の教えで特筆すべきは、身分社会だった当時、人間の貴賤は生まれによっては決まらないと説いたことだ。仏典には「四姓(祭官・武人・庶民・隷民)の中で祭官が最高であり、それ以外は卑しい」と主張する祭官をブッダが論破する物語が多数収録されている(馬場紀寿『初期仏教』)。

たとえば、祭官が最上だと説く祭官に対してブッダは、殺生や窃盗などの悪行を行う者はどの生まれにもおり、それら悪行を離れた者もまたどの生まれにもいることを説いた。また、王族であっても、祭官であっても、庶民であっても、隷民であっても、一部は殺生や盗みなどの悪行を行うし、一部は善行を行う。この世において最上の者は、祭官ではなく解脱した者だと説いた。仏教で解脱とは、欲望を抑制して煩悩の束縛から自己を解放し、心の平静な境地である涅槃を実現することである。


このような仏教の考えは、国王を泥棒と同一視するいう大胆な態度につながる。仏教学者の植木雅俊氏によれば、インド哲学の泰斗・中村元氏は常々、インド仏教では国王を泥棒と同列に見ていたという話をしていた。なぜ同列かというと、泥棒が非合法的に人の物を持って行ってしまう一方、国王は税金という形で合法的に人の物を持って行ってしまう。人の物を取り上げるという意味では共通している、とみるのである(『仏教、本当の教え』)。

このような仏教の考えは近年、西洋のリバタリアン(自由至上主義者)と呼ばれる論客から注目されている。リバタリアンは個人の生命・身体・財産の権利を重視し、正当防衛以外の理由でこれらの権利を侵害してはならないと説く。これだけなら、たいていの人はとくに異論を唱えないだろう。だがリバタリアンの特徴は、その原理原則を一般市民だけではなく、政府にも厳格に当てはめようとするところにある。

たとえば、課税は盗みだとみなす。リバタリアンの理論家マレー・ロスバード氏によれば、政府以外の個人・集団(犯罪者を除く)が相手との自発的な取引や贈与で所得を得るのに対し、政府は、もし収入を与えなければ恐ろしい罰を与えると脅すことによって、強制的に収入を得る。これはピストルを突きつけて金銭を要求する強盗に等しいという(『自由の倫理学』)。

現代リバタリアンのこのような見解は、政治権力者である国王を泥棒と同一視する、仏教の発想と実質同じといっていいだろう。

このような主張に対して反論はある。たとえば、ブッダは生前、様々な統治者と対話したが、その際、課税をやめろと言ったり、税は盗みだから仏教の倫理に抵触すると言ったりしたことはない。だから仏教を自由至上主義と同一視するのは誤りだという。

これに対し、米国のリバタリアン系シンクタンク、ケイトー研究所が運営するウェブサイト「リバタリアニズム」は、記事でこう指摘する。王に向かって「臣民に税を課すのをやめなさい」などと言ったら、王は不快になり、そこで会話が終わってしまいかねない。そうなれば、王を解脱に導くチャンスは失われてしまう。ブッダは人を見て法を説いたのである。

のちに仏教がインドから伝わった中国では、天命を受けた帝王に民衆は服従するものとされた。前出の植木氏によれば、これは仏教本来の倫理とは対立する。それでも仏教者は、国家のために積極的に働こうとまではしなかったという。

ところが日本の仏教は伝来した当初から、鎮護国家の思想が支配的だった。ここがインドや中国との大きな違いだという。また、インド仏教では「人」より「法」を重視するが、日本では聖徳太子信仰や弘法大師信仰など個人崇拝が顕著だとも指摘する。

宗教の倫理がつねに正しいとは限らない。それでも、政治とは異なる価値観に立ち、政治を監視する存在は重要である。社会に及ぼす政治の力が拡大する現在、ブッダが説いた教えの意味を、あらためて噛みしめたい。