2017年1月30日月曜日

佐伯啓思『反・民主主義論』



腰砕けの批判

多くの民主主義批判には問題がある。民主主義の批判自体が悪いのではない。批判が不徹底で腰砕けだから問題なのだ。なぜそうなるか。民主主義の批判者自身が、民主主義の礼賛者と同類の国家主義者だからだ。本書の著者もそうである。

著者によれば、今の日本人は国民主権を至極当然のものとしている。しかし国民主権を意味あるものにするには、国民の意思(民意)が、状況に振り回され、情緒や宣伝で一時的に興隆したかのような「世論」であってはいけないという。

著者は吉野作造を踏まえ、民意とはその時々の「世論」ではなく、健全な常識や経験や判断力に基づいた「輿論」でなければならないとする。両者の区別は難しいが、判断できる「少数の賢者」はおり、それを見極めるのが大衆だと述べる。

しかし「少数の賢者」が国の指導者になりうるという吉野や彼に共感する著者の考えは、甘いといわざるをえない。少数賢者も生身の人間である以上、個人の利益を優先し、判断を曲げる恐れは大いにある。権力を求める政治家ならなおさらだ。

公平無私な「賢者」を大衆が見極め、選ぶというのも空論だ。ルソーが民主主義の前提とした、全市民が知り合いの超小国ならともかく、会ったこともない立候補者の人格識見など判断できないし、全員が不適格でも誰かが選ばれてしまう。

民主主義が危険をはらむという著者の認識は正しい。そうだとすれば、合理的な解決法は明らかなはずだ。民主主義の権限が及ぶ範囲をできるだけ小さくすることである。つまり政府の権限をできるだけ小さくすること、小さな政府にすることだ。しかし著者は周知のとおり、小さな政府に強く反対する。これでは解決の道を自ら閉ざしているようなものである。

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