スペンサーの国家社会学の核心は、「軍事型社会」と「産業型社会」の区別である。軍事型社会は暴力に基づき、産業型社会は平和な経済活動に基づく。この区別はセイ、バスティアら古典的自由主義者に共通するほか、ミーゼスらのオーストリア学派経済学でも重要な役割を果たす。
英社会学者スペンサーによれば、平和な取引に基づく産業型社会では、国家による行政は存在しないか極度に分権化される。一方、暴力に基づく軍事型社会では、国家による義務教育、国家が設立する教会、国家による広範な産業規制などが特徴となる。これは19世期末の現実だった。
社会学者スペンサーは、「公共善」のために立法すると言う政治家をこう批判する。公共善とは性格が不確かで、意見に左右される。これまであらゆる法律は、本当に公共の利益のためか、党派の利益拡大のためかはともかく、公共善の促進のためと称して成立してきたのではないか。
社会学者スペンサーによれば、人は自発的に法の保護を離脱し、国家を無視できる。国家による保護を放棄し、その対価の支払いを拒否できる。それで他人の自由を侵すことはない。市民権には納税が伴うと言って、国家という政治組織にとどまるよう強制するのは、道徳律に反する。
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